2011年6月2日木曜日

A.J.Cannon Leavittをめぐる人たち(2)

A.J.Cannon(1863年生-1941年没) 5歳年上の先輩女性。E.C.Pickeringに先に「人間コンピュータ」として雇われた。
OBAFGKMという恒星のスペクトル型の論理的な分類を完成、驚異的な速度で写真乾板上の星々のスペクトル型を読み取ったという。
彼女の父親は造船業者で州議会議員だったらしい。上流家庭の子女。子供の頃、母親に星座の見方を教わったそうだ。やはり大学時代に耳を悪くした。
Wellesley大学卒業後、新規流行のカメラを持参でヨーロッパに旅行し、スペインの写真集も作ったそうだ。
女性初のHenry Draper Medalや1925年にオックスフォード大学から 名誉博士号を貰っている。
Leavittさんももう少し長生きしていれば、こうした栄誉やノーベル賞ももらえただろう。しかし、A.J.Cannonの明るい性格とは違うので有名になっても嬉しくはなかっただろう。好きな研究を続けるには金がいるがそれを研究に影響しない形で入手するのは今も昔も難しい。ちょっとキュリー夫妻のことも脳裏をよぎる。
死の直前のLeavittさんの病床にバラの花束を届る、といった日記も書いているとのこと。

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