2017年1月7日土曜日
リルケと森有正そして田部井淳子さんとブログ
朝、食事(サラダ、ハム、トースト、紅茶、りんご)をしながら、NHK-TVを観ていたら、田部井淳子さんが最後に福島県の高校生を、富士登山に連れて行った件のドキュメントをやっていた。3,000メートルを越して自分は登れなくなったが、笑顔を作って高校生たちを励ます。
自分の心に叶うことなら最後の最後までやり通せるだろう、とTVを観ている人までを励ます人だった。
そうじをしながら、定年後ずっと使って、一昨年隠居したMacbookを復活させ、クラシック音楽専用機としてセットアップ。仕事中のBGMは、これとやはりお古のiPhone4SのJazz専用機を使い分けることにする。古くて小回りがきかないマシンも、使いようでなんとか役に立つ。(自分もそうかも。)
ブログの内容はこれでいいのか、考え始めたが、結論はこれでよい。何でも書くべきだと思い始めた。
しかし、このようなことを狙いたいという希望は、常に更新していきたい。たとえば...
光文社文庫の『マルテの手記』が、Kindle Unlimitedでまた読めるようになったので、拾い読みする。パリという大都会に上京したリルケの、戸惑いと、芸術への憧憬、幼児の思い出などを、「マルテ」という人物の独白的日記や架空の友人への手紙などという形で、緊密なストーリー性はなしで、覚書風に書き綴る。
森有正先生の『バビロンの流れのほとりにて』も、同じような形態を取っていることに気づいた。
彼らの場合、このようなものを書くことが、仕事いや、生きるということだった。
「都市の空気は自由にする」というドイツのことわざを、高校の世界史の先生にならったが、(お名前が記憶の底に沈んでまだ出てきません。数日これ関係のことを考えているうちに思い出したいもの)、この時代の、特にパリは、本当に仕事をする人間を自由にしたのだと思う。
ただし、その自由は、森有正先生のおっしゃるように、恐ろしい「孤独」のなかに得られる。しがらみのなかに安住し(それは必ずしも楽しいだけの安住ではない)ているより、寂しくもあり、孤独でもあるなかで「仕事」をしなければならない。
なお、ここで言っている「仕事」とは、賃金を得るための労働ではない。
隠居の身で太平楽を並べるなと言われそうだが、ともかく物質的には貧しいなかで、精神的には豪奢に考え、それをブログに書いていかなければならない。
田部井さんは死の直前まで、エベレストの稜線らしきものを紙に描いていた。
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