リスボンへの夜行寝台列車の食堂で珈琲を何杯も飲みつつ、身分がばれないようにナイーブさを装いながら聴いているクルルへ、教授は大風呂敷を広げる。宇宙論もそのひとつ。易しそうなので2番めから考えてみた。
命題2 「太陽系は…銀河の中央から三万光年も隔たる周辺部に…位置している…」
放送大学の教科書『進化する宇宙』や、日本大百科事典、世界大百科事典に当たってみると、わが銀河系の円盤部の直径は10万光年。
太陽系は銀河系の中心から2万8000光年のところにある。(『進化する宇宙』2005年刊の99ページ)
日本大百科事典には岡村先生が2万5000光年としてある。
世界大百科事典には高瀬先生(岡村先生の先生)が2万9000光年と書かれている。
クックック教授の三万光年は、現在から見ても良い数字である。天文学は良い学問で、細かい数字は気にしない(できない)、観測技術と解釈により、数値はどんどん変更改定される。桁があっていれば御の字なのである。
最初に引用した銀河系円盤の大きさ「10万光年」も、観測者によってドンドン改定されてきた。
ハーシェルは一八世紀に6000光年とした。寒いイギリスの露天で観測を毎晩やってよく体を壊さなかったと思うが、一桁くるっている。これは一桁しかくるっていないと言うべきで、星はすべて見えるものという仮定が誤っていた(当時の技術では観測できない星が存在する)ためである。
ハーシェルは太陽系はほぼ銀河系の中心近くにあるとしていた。
20世紀初頭にはカプタインが太陽系は銀河系の中心から5000光年と述べた。シャプレイは5万光年としたが、星間物質による減光を考慮しなかったためとされている。
トーマス・マンはシャプレイの説も当然読んでいたと思うが、同時代の学者のジーンズが1929年に引退してからの一般向け解説書を見て、穏当な3万光年という数字を持ち出したのだろう。慧眼というべきか。シャプレイとカーチスの銀河系の大きさに関する大論争でカーチス説が有力とされ、ハッブルの大発見でシャプレイが落胆したことも知っていただろうかと想像は膨らむ。
シャプレイはかのリービット女史の晩年の上司。シャプレイはリービットの業績を評価していたが、性格的には合わなかったのではないかと思う。
リービットのことまではトーマス・マンは知らなかったであろう。リービットは真面目なのでトーマス・マンの小説などは読まなかったと思う。
さて、珈琲でも飲みますか。ジーンズも読まないといけないなあ。
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