昨夜の年上の友人との飲み会でも、高安の話題が出て評判は良かった。気持ちよく飲めた。帰って、久しぶりに(ストリーミングでなく)CDで、マイルスの「TUTU」を聴いた。優しい曲調だと感じた。酔っていたせいだけでもなさそう。
1987年のグラミー賞をとっている。「ハード」なジャズではないので、Jazz批評家の評価はあまり高くなかったらしい。
マーカス・ミラーを中心にして、マルチレコーディング手法を駆使して作らせた。と、『マイルス・デイビス自叙伝2』には書いてある。(1999年 Jicc出版 P208)
妥協の嫌いなマイルスが、部下を信頼して、最小の指示で作らせた、そして自分はソロで参加したアルバムなので、上記の感覚が生まれたのだろう。
これは、なかなか難しい問題で、スティーブ・ジョブス亡き後のiPhoneの評判の良し悪しにも通じる。もちろん、「TUTU」が好きだからと言って、最近のiPhoneのほうが良いという単純な話をしているわけではない。集団で作られるモノの商品価値を決めるのは、複雑な、つまりリゾーム的要因群がからみあったものだろうと言うこと。
単純な分析的思考では(つまりトップダウン、ウォーターフォールでは)良い商品はつくれないことのひとつの表れでも有る。
高安が記者会見の前に持ち上げていた、祝い鯛は大きく重かった。さすがの高安もしばらく持っていると手が震えるくらいに。大関や横綱の地位を長く保つのもこのように難しかろう。
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