図書館本だが、「思想の自由の歴史」(ビュァリ 森島訳 1951年 岩波新書)を半分まで読む。
昔の大学の教養部時代に読むべき本。一度は手に取ったはずだが、マジメに読んでいなかった。今回は渡辺一夫先生の本で引用されていたので、読むことにした。寛容と非寛容の問題のくだりで。
前半の主題、ギリシャ時代には、百家争鳴、皆自由に思想を発表できたのに、偏狭なキリスト教徒のために、自由のない中世が続いた。その後、ルネサンスがやってくる。
キリスト教の中でも争いは続く。現在(20世紀初め)、偏狭なキリスト教は米国に巣食っている。
「背教者ユリアヌス」(辻邦生)は、まさにこのテーマを扱っていた。
日本でのキリスト教弾圧の原因なども、一緒に考えてみるべきだ。
そして、現代でも、政治的に、社会的に、国内外とも、非寛容がはびこっているが、いかにして寛容な社会を作るか。ビュァリは、冒頭で、頭のなかではどんな思想をもつのは簡単だが、それを誰でも発表できるのが自由だと述べている。
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夢メモ。今日は、ストーリーを思い出して書いてみた。忘れたことは多いが、昨日のメモよりはわかりやすくなった。この調子で続けたい。
夕食の買い出しに行ったが、必要な味噌を買い忘れ、昨日買ったヨーグルトをまた買いそうになってこちらは思いとどまる。
寝ている時の夢と、起きている時の自意識の区別は、この意味(想起性)では差がない。
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