2017年11月27日月曜日

思考や潜在意識をコトバで表現できるのか?

 「樹の声 海の声」読了後の後始末。

 主人公咲耶の父のモデルは「図師民嘉」(1854−1922)、鉄道院経理部長。鉄道会計の整備に尽力。



 咲耶のモデルは「マリア・ユリ・ホエツカ夫人」、長く欧州に居たが、ポーランドがナチス・ドイツに侵攻されたとき、ポーランド人の夫と脱出。日本に帰って、戦後は学習院でフランス語講師。
 たぶん、そのころ辻邦生と親交があったと思われる。

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 今朝の「夢」日記。夢は忘れたので、目覚めた直後の妄想を書いてみた。夢はどうも「感覚」(視覚や聴覚や触覚など)が引き金となっているようだ。昼間の思考は言葉が引き金となっている、夢も思考も私にとっては言葉で表現するしか無い。
 映画と小説の違いににているようだ、しかし映画作家や音楽家にはいまさらなれそうもない。絵なら???
 
 思考や妄想、夢の内容を言葉で表現するのは、かなり困難だ。現実世界のモデルをチューリングマシンで表現すること以上に難しいのかもしれない。多次元世界のモデルを一次元の道具で表現できるのか?暗示がせいぜいだ。

 メモのとり方のテクニックはいろいろ考えられる(例 ワインバーグの文章読本)が、心の奥、潜在意識のなかにまで潜り込んでなにをメモするかのノウハウはいわく言い難い。村上春樹の「夢を見るために…」や、慶応の井庭先生も、難しさを述べるのみ。このテクニックを言葉で表現するのは無理かもしれない。ヘッセの「ガラス玉遊戯」や、マンの「ファウストゥス博士」に、例を求めるだけかも。

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 ひさびさに納戸部屋から本を発掘してきた。



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 「遺言。」(養老孟司 2017年 新潮選書)を読み終える。本当の遺言ではもちろんない。でもこの題名で書くのも面白いのでやってみたい(*^^*)


 

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