2019年4月7日日曜日

OLD REVIEWS試作版第九弾…(口語訳『即興詩人』訳者序)

即興詩人 譯者序 (宮原晃一郎)

私がアンデルセンの「卽興詩人」を讀んだのはもう十二三年前で、其本は森鷗外博士譯書であつた。古雅で、流麗なその譯筆は、未だ古いローマンチツクな情味に憧れてゐた、當時の私の心を強く強く捕らへたものであつた。のみならず、アンデルセン一流の絹のように柔かで、美しい悲しく、甘いそのセンチメンタリテもまた私の若い心を淚にまでも誘ふに充分であつた。それ以來私にとつてはアンデルセンは大きな、親しみの多い詩人となつた。彼の幾つかの童話の英譯を讀み、遂󠄂に彼自らが書き、且つ語つた其言葉で、彼の作を讀むに至つて、私は彼の此名作を現代語に譯してみようと思ひ立つた。

て愈々筆を取つてみると、是はなかなかの難事であることが分つて、聊か困つた。けれども此書に現はれる淸純な情󠄁と、哀艷な筆致とは、錯雜した其事件と共に矢張り往時に變らぬ深い感興を私の胸に起さして、是非とも最初の一念を貫かせんとする程、私を惹付けた。然るに約百枚も譯するうち、私は不幸にして病氣に罹つて、遂󠄂に臥床する身となり、殆んど二ヶ月ばかりは執筆を止むることを餘儀なくせられたが、私の此書に對する興味はなほ失はれず、病が少し怠るや褥中に筆を取つて、遂󠄂に此處に志望の一端を果すことを得た。其艱苦のあとを顧み、目前の成果を見ては、喜びの念は勿論であるが、自ら不敏にして未だ定譯と自負するだけの出來榮えに達しなかつたことは、聊か遺󠄁憾と思はぬでもない。只慰むるところは此譯が、日本では未だ試みられたことのないアンデルセンの母語であるデンマルク語から直接に移植したもので、殆んど一字一句も省略しなかつたこと、現代語に譯して、當代の人にり親しみ易くしたことである。惟ふに此作の如きは永久に讀まるべきものであるから、今後改版に際して、不完未熟の箇所は漸次改むる機會があるであらうと信ずる。早急に本譯を出した理由の一つは、本書の口語譯を數年以前から切に求めてゐることに應じたいが爲めである。

千九百二十三年六月 譯者

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二段落目の最初の字、まだ読めてません。引き続き解読に努めますが、他の版を探さないとダメかも…どなたかご教示いただければ幸いですm(_ _)m

一時間後…「扨て」(さて)ではないかと思いましたので、これに変更しました。原版は活字が潰れていて読みにくいのですが、多分これでしょう。

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出典 『即興詩人』 アンデルセン 宮原晃一郎訳 大正12年 金星堂
国会図書館デジタルコレクション(下の画像も)

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あとがき 私はこの口語訳で「即興詩人」を初めて通読できました。口語訳はこの他にもデジタルコレクションに見つかります。たとえばこれ『通俗泰西文芸名作集』でもこれは抄訳かしら。

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