2019年5月6日月曜日

旧字旧かなを認識できる、iOSアプリ「OCR」が気に入った

iPad上に「OCR」というアプリがある。数週間ほど前にダウンロードしておいた無償のもの。試していなかったので、今朝、やってみた。同じiPad上の「帝國圖書館」で後藤末雄の『日本・支那・西洋』と言う本を読んでいたので、その序文の前半をスクリーンショットで画像化し、「OCR」にかけてみた。結果は、思ったより、いや、素晴らしく良好。なにしろ、旧字旧かなをそのままほとんど認識してくれる。

飛び起きて、(寝どこでやっていたので、)Macで校正してみた。従来のOCRの結果よりも、三分の一くらいの時間でできた。このOCRは偶然見つけたが、良い拾いものだった。

OCRでよくある「半角スペース」ゴミが皆無な少ないのも助かる。PDFは認識しないが、jpgを使えば問題ない。PC用のソフトがないのが残念。有償版もあるが、違いは、広告が出ないだけ。

私の目指しているOLD REVIEWSは、ほとんどが旧字旧かなの原稿なので、このアプリが使えればすごく助かる。しばらく使って様子を見よう。継続使用したくなったら有償版に切り替える。

以下は今朝やってみた結果。短時間でストレスなく完成した。

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序言 (後藤末雄)

學者のうちには自分の研究した專門知識を神棚に祭り上げて、ひとりで隨喜の涙をこぼしてゐる者が少くない。私は斯ういふ態度に賛成できないのである。專門知識の社會化もしくは通俗化は學者に課された半面の義務だと信じてゐるからである。實際、學者が專門知識を一般人の教養寶庫に移管しなければ、一國の文化は勿論のこと、世界の文化が進歩し、昂揚する理由はない。併し文化富財を社會化するに當って、最も注意すべきは、知識を低下せずに、これを通俗化することである。そのためには「六づかしいことを、やさしく言ふ」技術が必要なのである。然らずんば、折角の意圖も、あたら目的を逸してしまふのである。

學者の末席に列する私は、大膽にも、かういふ心構へを以て「日本・支那・西洋」の一篇を書き上げたのである。この嘗試が成功したとは信じてゐない。

「日本・支那・西洋」とは、要するに此の三者の文化交流の跡をたづねて、その相互影響を摘要したものに他ならない。東西の文化が接觸すると、この兩文化が如何なる側面に於て、牽引し、或は反撥するに至つたか、言ひ換れば日本人、支那人、西洋人の考へ方、見方、感じ方の差異を指摘して、その特質を闡明しようと試みたのである。主題の內容が極めて廣汎に亙ってゐるから、多種多樣の知識を必要とし、從つて記述も亦多量にのぼる可きことは言ふまでもない。併し時局の關係上、著者には十分の紙幅が與へられてゐない。それ故、遺憾ながら割愛した事實が多いのである。ただ、重點主義を奉じて、日本文化の發達過󠄁程を一瞥しただけに止る。この點に就いては讀者諸君の御諒承を切望するものである。


日本人が海外文化を研究するのは、畢竟、よりよく日本の國情を知り、その文化の本質を知らんがために他ならない。決して我々、日本人は西洋文化その者を知らんがために、西洋文化を研究するものではない。また我々が探求に從事するのも、「物を識る樂しみ」のためにのみ研究を續けるものではない。學問研究の目的は人問を啓發し、啓導することにあると思ふ。まつたく文化科學の價值は「何物かを人間に敎へる」ことにあると私は確信してゐる。(以下略)

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出典 『日本・支那・西洋』 後藤末雄 昭和18年 生活社
国立国会図書館デジタルコレクション(下の画像も)

あとがき この序言には、後藤末雄の考え方が良く現れていると思える。

2 件のコメント:

  1. ocrをGoogle検索していて辿り着きました。

    ついでにiPadに帝國図書館アプリも入れてみました。
    書籍が探しにくいですが、古い書物も質の良い画像で読めるので面白いです。
    それでご紹介の本を検索した折りに気づきましたが、ブログ中で大塚末雄と書かれているのは、後藤末雄のことですよね。
    「日本・支那・西洋」での検索結果に現代支那人名鑑が出てきまして、100年前でも外務省が外国人について結構な人数の学歴、経歴を詳しく調べていたことに驚きました。また、読点だけでなく句点さえも極力使わないように蕩々と続ける文章のあまりの長さに思わず笑ってしまいました。

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  2. ご指摘ありがとうございます。早速直しました。
    読んでいただける方がいるとわかり、嬉しい限りです。

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