次に読む本につき迷ったが、『量子の海、ディラックの深淵』(グレアム・ファーメロ 吉田三知世訳 2010年 早川書房)にした。これも図書館本。ディラックの量子力学教科書の美しさに感銘を受けたのを思い出したからだ。(読んで理解したとは言っておりません、念の為。)
ディラック方程式はファインマンの経路積分に影響を与えた、とどこかに書いてあった。1933年にシュレディンガーと一緒にノーベル賞を受賞。このときは波動力学と行列力学の等価性の証明による。
本の前書きによると、ディラックは物理世界を数式でいかに表現するかに興味があり、その応用には興味をしめさなかったという。すごく狷介だったらしい。
その、性格はどこから来ているか、そしてどのように暮したのかに興味があり、この伝記を選んだ。
1902年にブリストルで生まれる。父親はクソ真面目なスイス出身の語学教師。母親はイギリス人。父親と二人だけで食事をするはめになり、厳格な父の前で、食欲不振になる。晩年まで胃酸欠乏による消化不良に悩まされた。ここはすごく気の毒。
当時の庶民の小学校のカリキュラムがオモシロイ。理科がなくて、今で言う技術家庭科がある。製図(三面図など)が得意だった。女性はその時間料理を習った。(なんと!)
1914年(大戦がはじまる年)には中学校にはいるが、やはり技能教育が多い。レンガ積み・漆喰仕上げ・靴つくり・金属加工・製図など。これは、私の場合、中学校で金工や木工や製図や園芸などやったので、懐かしい。ま、イギリスの当時の技術立国のための政策だったのだろう。ディラックは数学や製図の理論などは大得意。でも、技能的な部分は全くダメ。でも、成績はダントツ一番。先生はリーマン幾何学など自習しろと言っていたらしい。ディラックの兄も同じ学校だったが成績が悪く、仲は悪かった。これも、ディラックの性格に悪い影響を与えた。
1919年。大戦は終わる。このころアインシュタインの一般相対性理論の裏付けに、エディントンらの日食観測隊が成功。大ブームとなっていた。大抵の人はわからないが、ディラックは直感的に理解していたのかも知れない。
ここまでで、50頁くらい読了。読書の波に乗れたので、このあとはメモをとるのをやめる。時間がかかるから。
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