『トーマス・マン日記 1946年-1948年』の続きを読む。
今朝は早起きして、5時から6時まで。
1947年10月7日のマンの悩み。
1.ヨーロッパ旅行の疲労。
2.『ファウストゥス博士』発刊直後の緊張。
3.アメリカにおける出来事への心痛。
4.「ゲーテ選集」について出版社から通知が来ない。
1947年10月10日。
映画『わが生涯の最良の年』を偶然に観て感激する。
1947年10月20日。
非米活動委員会の聴聞会の報道がひどいと立腹。
1947年10月24日。
『ファウストゥス博士』の最初の四つ折り本(米国用複写版)が届く。
1947年10月28日。
この日に限らず、この頃フェーリクス・ヴァイル博士(芸術パトロン)とよく話している。
1947年10月29日。
『天国への階段』(映画)を観る。1946年英国。面白そうな映画だ。
1947年10月30日。
放送番組「ハリウッドは抵抗する」にて発言を行うので、その準備をする。
1947年10月31日。
同上録音。
1947年11月21日。
孫を可愛がる。
1947年12月2日。
日本語版全集の準備が始まった。
朝日新聞の新年号に「日本への新年の挨拶」を掲載するのでその原稿を書く。
1947年12月14日。
『ゴリオ爺さん』を読む。これに限らず、読書は毎日のようにしている。
1947年12月31日。
『ファウストゥス博士』の年が終わる。元日にはエーリカが途中の原稿を読み、「徹夜で読んだ」と言ってきたのだった。日記を読み直したのだろう。
***
早起きした理由は、朝食後すぐでかけたため。三軒茶屋に行き、出生届や健康保険、児童手当、保育所調査などをする、息子殿のサポートと、いつもの家政夫業務。今日は湖南省風中華料理ランチをごちそうになる。世田谷区役所のそばの松陰神社にも行ってみた。小雨。
世田谷線の電車で面白いのに乗り合わせた。
0 件のコメント:
コメントを投稿