『「月刊ALL REVIEWS」ノンフィクション部門第20回、武田砂鉄さん×鹿島茂さん』のアーカイブ、後半も聴き直した。前半も含めて、一時間半の対談の中での、書評に関しての言及を私なりにまとめてみた。この作業は自分としては非常に参考になった。以下。もちろん文責は私。
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【書評の意味】
書評を書き、読むことはフィールドワーク。つまり、種々の本を通して社会を理解しようとするときに書評が武器となる。
【本を読むときの注意】
シニフィアンも合わせて理解すべし。シニフィエのみを問題として理解または鑑賞する素人が多い。パフォーマティブなところも問題にしないといけない。
【批評に必要なこと】
批評するには、批評の対象(本、映画もそう)を大量に読んで(映画なら観て)いないとできない。量から質への転換が必要不可欠。
【書評の長さ】
例えば、朝日新聞は800字(原稿用紙2枚)、500字使って要約を書くと批評には300字しか使えない。毎日新聞では1400字(3.5枚)。この0.5枚分が結構重要になる。
【丸谷才一の三原則】
毎日新聞の書評を書く場合に鹿島さんが聞き取ったこと。
1.マクラは3行で書く。
(詳細後述。)
2.要約はしっかり書く。
(なぜなら、書評は読者にとって受け売りで本の話をするためのツールだから。)
3.けなしはやめる。
(本が売れなくなっては大変。そのためには書評する本は自分で選べ。)
【書評の想定読者】
素人であるべき。書評する側も一般人として読む。本の良し悪しは専門家にはわからない。
【クロス書評】
クロス書評をやるべき。別の分野の人が書評すると良い。小説を書いている当事者が小説を批評できるか疑問。
【専門分野の扱い】
当事者が数人しかいない場合もある。書評には、専門性と一般性の釣り合いを取る必要があって、そこに「専門技術」が必要になるかも知れない。
【3行マクラとは?】
マクラができたら、書評全体ができてしまう。3行とは新聞なら5−60字だが、丸谷才一はイギリスの書評(長い)を頭においていたと考えられる。毎日新聞の書評の長さ3.5枚のうち、0.5枚がマクラにあたる。
【マクラは先に書くのか】
マクラができたら全部できたも同然なのだが、先にマクラをひらめきで書いてしまえると楽。いろいろ考えてたくさん書き、後で削るという手もあるが、面白くなくなることがあるので要注意。
【サビから入る?】
最近の音楽のように、イントロ(マクラ)を省いて、サビから入ることも考えられる。
【落語の効用】
落語を聞いている人は書評がうまい。素人でも上手い人はいる。特殊な技術が必要なのだろう。この技術はひらめきだけではないし、マニュアル化も難しい。
【アナロジー】
アナロジーを使うと良いのかも知れない。身辺のモノゴトと本の世界の基本構造が似通っているのを察知する。身辺雑記のみでなくうまく要約する。それで良いマクラができることがある。
【面白い本】
面白い(と思った)本の書評が良いとは限らない。つまらない本からはなにも出ない。
【書き方の工夫】
対話形式にするなどいろいろ工夫すべき。ワンパターンはだめ。一方、苦労して書いたと思わせてはいけない。楽に書いたと思わせるべき。太宰の小説の人気があるのは、読者が自分でも書けると思うため。これはすべてのジャンルで言えること。
【究極の目標】
結局、書評の目的は本屋にその本を買いに行かせることである。
【良い本とは】
書評を長くやっていると、別ジャンルの本でも良し悪しがわかるようになる。駄目な本の特徴は、やさしさを押し出そうとして読者におもねること。そしてそこにマーケティングの匂いがすること。良い本は時代に共鳴するが、共鳴しているだけでなく予見も含むこと。例は『ボヴァリー夫人』。
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