『トーマス・マン日記 1946年-1948年』の続き。
1947年4月22日から9月14日までの、イギリス、スイス、オランダ旅行は、単に戦後初の旅行であるだけでなく、米国に居づらくなり、ドイツにも帰れない状況、戦前戦中よりかえって複雑な政治的状況下で、困難な亡命生活を続けるトーマス・マンの必死の動きと言えるのだろう。
やっと書き上げた『ファウストゥス博士』の大量のゲラの校正をしながら、講演や朗読を行い、ミュンヒェンからの誘いにも応対(結局行かなかった)し、その感に、次の執筆活動(ゲーテに関する本)の準備もする。読書量も多い、なかでも帰りの船ではホイジンガの『エラスムス』を精読している。往路の船(クイーン・エリザベス号)より、帰路のヴェスターダム号の方が乗り心地が良かったのだろうが、その精力には感嘆する。やはり老齢には勝てずに寝込むことも多かったのだが。
旅行中の気休め(?)としては、モンタニョーラにヘルマン・ヘッセを訪ねたり、映画『天井桟敷の人々』を観覧したり、預け先で行方不明になっていた愛犬ニーコが見つかったニュースを聞いたりしていた。下世話な話だが、各地での講演料がかなり高額だったことも、精神的には良かったのだろう。
カリフォルニアに戻ったが、このあと、米国の暗黒時代がやってくるので、読み進むのは気が重くなっていくだろう。
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昨日、ご近所図書館で借りた2冊。『霧の彼方 須賀敦子』と『父の帽子』を少しずつ読む。前者を先に読み終えないといけないだろう……順番待ちキューに8件溜まっているので。であるにも関わらず、森茉莉の『父の帽子』(講談社文芸文庫)を読み始め、その文章の素晴らしさに魅せられて、半分まで一気に読んでしまった。66頁に、文学を読むのか、文学者の私生活を覗きたいのかという痛烈な読者批判があるが、これを重く受け止めたい。そして、森茉莉のテクニックに脱帽したい。テクニックの分析ができるといいのだが。
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