ル・コルビュジェ『伽藍が白かったとき』(岩波文庫)をかなりの部分拾い読み。この本は『賢者たちの街』381頁で引用されている。この時期(1935年から1936年)に、ル・コルビュジェがニューヨークを訪れたときの感想を交えた著作。
73頁。
ノルマンディー号でアメリカへ。
アメリカの伽藍は白いのか?
83頁。
仕事に麻痺し、地下鉄や高架鉄道の金属音に呆けてしまった男たち女たち、子供。
92頁。
パリの居酒屋は古い。
アメリカはご清潔。
94頁。
ニューヨークの街は碁盤目。パリと違う。
106頁。
ニューヨークの摩天楼は小さすぎ、そして多すぎる。もっと大きいのを提案したい。
111頁。
この十年間に、ニューヨークは空に伸び、モスクワは摩天楼を「資本主義的」であるといって告発した。
150頁。
「ニューヨークはアメリカではない」アメリカとは、ニューイングランドや、ボストン、シカゴ、そしてもっと広い部分だ。
151頁。
外から来た人はニューヨーク人になれてもアメリカ人になるとはかぎらない。
155頁。
アメリカ人は黒人に関すること以外は非常に民主的に見える。
163頁。
ニューヨークはパリに一番近い大都市である。(ル・アーブルで船にのるとすぐに着く。)
177頁。
すべての金銭は労働時問をあらわす
200頁。
中世伽藍が白かったとき、精神は勝ち誇っていた。だが現在のフランスの伽藍は黒ずんで、精神は傷ついている。
エイモア・トールズは、この本を引用することで、白い伽藍を上り詰めようとする主人公に警告を発しているのだろうか。
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1936年前後の『アシモフ自伝 1上』を調べてみたい。ロシアからの移民でブルックリンに住んでいた若きアシモフは何を考えていたか。本を探し出してきた。
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