メモに毎朝日付を書き込む。この頃は、昨日の新聞を見ないと、今日が何日か思い出せない。曜日はわかる。ゴミ出しをしているから。
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『トーマス・マン日記』また、続きを読む。
1950年3月31日。
旅行のための講演「私の時代」はニューヨークで翻訳中。ドイツ語原稿はエーリカが短縮中。
マンは『選ばれし人』を書きすすむ。トルーマンがマッカーシーを批判。
4月2日。
肌寒いが、テラスで食事。(# この習慣も仕事のため目をさます役割がある?)
4月3日。
まちがえて8時でなく7時に起床。「早起きすると一日が傷つく。」とはどういう意味だろう。神経質すぎるのか?
政治から遠ざかれとマイアーから愚かな手紙。
4月6日。
胃が疲れている。旅行前の緊張か政治的緊張か両方?
執筆はつづける。
4月9日。
剃刀でひげを剃る。旅行には電気カミソリを持っていきたくないのかしら。
4月16日。
夜、モントゥー・コンサート(ラジオ?)を聴いていると、ゴーロがいとま乞いに来た。
4月19日。
出発の日。散髪。
4月23日。
シカゴで講演会。1000人収容のホールは満席。マイクを使って話す。
マンはこの講演「私の時代」で、「西欧の民主主義が自己の生命を守るためにロシアの共産主義とともに立ってナチ=ファシズムと戦ったのはつい昨日のことでした。・・・私は、両者の共同戦線が存続してこそ・・・人類にとって偉大な、いいものが生れ得るのだと考えています。」(新潮社版全集 第10巻、365頁。)と述べた。
4月25日。
ワシントンでの講演が取りやめになったのはうれしい。?
4月30日。
国会図書館でなくカウフマン講堂で講演。
5月4日。
ストックホルム。出発は1日。空路20時間。3日に講演。終了後ビールを飲んだ。
5月17日。
パリの講演と滞在は終り、車(ヒルマン・ミンクス)でチューリヒへ。
5月23日。
ルガーノ者は昨日。湖の見える5階のホテルの部屋。
ところで車はやはりKが運転したのだろうなあ。ともかく車でヘッセ邸へ。昼食を一緒にとった。ヘッセ邸にはこの滞在中何度も遊びに行った。
亡命前ルガーノにいたのは1933年だった。
『イワン・イリーチの死』を読む。
5月31日。
車でルガーノを発つ。3人?、K、エーリカと。途中名物の鱒料理。チューリヒ着。
6月1日。
フリードと再会。彼は懐かしい『ドリトル先生』を持ってきた。
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午後一時。昨夕注文しておいたBUFFALOのWiFiアクセスポイントが届いた。早速設置。WiFiの接続不良は解消した!気が晴れた。速度計測したが最速約50メガで前と変わらない。まあ、そもそも100メガ回線なのでしかたない。古いマンションなのだが、ギガの回線引けないかなあ。
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