『トーマス・マン日記』の続きを読む。なんとか、今月中に1952年分を読み上げたい。
1952年3月
『クルル』の筆が止まっている。この月の後半になると再開するが、小説そのものに関する疑念が生じ、はかばかしくは進まない様子。心配しても役に立たないが、心配だ。
3月10日。
カフカの『アメリカ』を読了。
3月11日。
キューバで軍事革命。全ドイツとの講和。
晩、音楽を聴く。フランチェスカティは当代随一のヴァイオリニスト。
3月14日。
エーリカはカール(『アメリカ』の主人公)は同性愛を暗示していると言う。私はむしろユダヤ的純潔だと思う。
3月19日。
ここに止まることは、エーリカのことを考えればとうてい考えられないし、私自身、この国には言いようもなく疲れている。……ミュンヒェンの場所に私たちの新居を建てようという考えにいろいろ思いを馳せる。
3月20日。
「スイス」でランチ。
3月22日。
日本との安全保障条約。
夕食後、客の前で『クルル』の朗読。
3月23日。
長篇小説原稿と取り組む、きのう朗読した分に訂正。ウプレの章。
3月24日。
小説原稿と取り組む。第3部第5章のある箇所が気になって仕方なく、書き換えたが、決定とまではいかない。
3月25日。
長篇小説にかかる。最後の章(6章)の変更。ズーズーの新しい肖像。博物館の[描写]のために写真の観察。
(#マンの小説の書き方が知れて面白い。)
3月28日。
ズーズーの肖像の修正に苦心。「クックック」の章の訂正部分を浄書のために手渡す。雑誌「南アメリカ」の動物園関係記事や旅行写真などを見る。
3月29日。
きのう第3部第7章を書き始める。(注 クルルの博物館訪問。)新しい義歯に手こずる。ものを読むのにあまり役立たない目も私には気がかりだ。エーリカが、クックックの章の、巨大な鯨が無視されている誤った箇所に注意をしてくれる。
3月30日。
新しい章を少し書き進める。
3月31日。
きのう、私たちがスイスヘ移ろうと計画しているというニュースが新聞に出ていたことを知る。
第7章をわずか書き進める。この仕事の将来に関して重大な懸念。
***
午後、昼寝のあと、K内科クリニックに行き、インフルエンザのワクチン接種。会社を辞めてからはずっと接種していなかった。そのせいか、終わったのに待合室で15分間待たされた。幸い具合は悪くならなかった。
***
夕方、買い物ついでに図書館で本を4冊借り出した。図書館員さんが全部持てますかと真顔で尋ねた。大丈夫と答えて、買い物もたくさんして、一緒に持ち帰ったが、確かに重かった。本の重さを量ってみたら、2.8キロあった。夕食材料などと合わせたら5キロくらい。孫と同じくらいだ、大丈夫。皆が年寄り扱いをするのは気になる。
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