2020年12月15日火曜日

トーマス・マンにも「老人力」はあった、いやかなりあった

『トーマス・マン日記』を読む。

相変わらずだが、なんとか『クルル』を書き続ける。この、「なんとか」にトーマス・マンの強さの秘密がある。周囲、特に妻Kや娘エーリカなどと、創作上の行き詰まりや、生活上の悩みを相談できた。妻や娘にはトーマス・マンを導く知恵があり、マンは割と素直にそれに従っている。

やはり亡命先で苦労している(『ツヴァイク日記』によるとだが)ツヴァイクとは、ここが決定的に違うと思った。ツヴァイクは一人で悩んでいるように見える。その悩みを日記にぶつけているのはトーマス・マンも同じだが悩み方がオープン、この「違い」により、トーマス・マンとツヴァイクの生涯の終わり方に明暗がもたらされる。トーマス・マンはツヴァイクの「弱さ」を惜しんでいたと思う。

一人だけで頑張ってはいけない。


1953年9月1日。
澄んで、真夏のよう。コーヒーのさいに、Kと建てるべき家の部屋割り、規模、必要な浴室について話す。

「ルクセンブルクへの手紙」を書き進める。

9月2日。
第9章を書き進めるが、退屈。

9月3日。
12時半土地ブローカーと車で外出。ヘルリベルクとキュスナハトを見てまわる。手が届かない価格、意気消沈。夜、観劇。

9月6日。
リスポンからの手紙の終わりを書き進める。

いくつかの土地を見学。

9月7日。
クルルの手紙、書き終わる。さらに先へ書き進める。

パシフィク・パリセイズからまだ取り寄せるべき家具、ソファーなどについて話しあう。

9月9日。
私たちの有り金、ちょうど200,000スイス・フラン、少なすぎる。中級程度の家屋建設見積もりが170,000スイス・フラン。やむを得なければ抵当権つきでなすべき。少し第9章を書き進める。

9月11日。
ミンクスで出発。

9月12日、ヴヴェ、トロア・クロス。
昨日、エーリカと出発。夜7時着。今日、11時頃不動産仲介業の一人といっしょに車で出かける。適切そうな家。シンプロン鉄道の騒音でダメ。

夜、7時チャプリンの家へ。魅力的な夫人と、5人の子供たちが、心から歓迎のあいさつ。快適な夕べ。

9月13日。
再びチャプリン邸へ。

9月16日、ルガーノ、ヴィラ・カスタニョーラ。
一昨日はブリグで一泊。昨日、ルガーノ、ヴィラ・カスタニョーラに投宿。なじみのバルコニー付き部屋。

ヴァルターと再会。

夜、エーリカが、『クルル』長篇小説でがんばるべきだという、ためになる忠告をしてくれる。

9月17日。
モンタニョーラヘ。ヘッセに『欺かれた女』を謹呈。喜んでくれた。

9月19日。
ヴァルター父娘と夕食、『欺かれた女』についてヴァルターが愛情をこめて話す。

9月24日。
第9章を書き進める。

9月25日。
テニス競技のくだりを少し書き進める。

9月26日。
かゆみには暖かい入浴が役立つ。

9月29日。
メーディが来る。

9月30日。
ヘッセ邸へ別れのあいさつに行く。

10月2日、エルレンバハ。
きのう、メーディが運転手となってヴィラ・カスタニョーラを出発。夕方、到着。新しい家政婦マーリア。

***

『老人力』を読み終えた。意外にと言っては失礼だが、面白かった。

307頁。
(わからない事を質問されても)ずるずると自分なりの論理が出てきて(自分で)面白がるのが、老人力😆 なおかつ、最後に話は発散する。(まとまらない。) これも素晴らしき「老人力」。



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