2020年12月21日月曜日

トーマス・マンは念願の新居へ

朝5時に、国際宇宙ステーションが見えた筈だが、寝坊して見逃した。

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『トーマス・マン日記』。

『クルル』原稿に手を入れながら、新しい家への引っ越しを行う。もっとも本人は身の回り品を持ってホテルに避難しており、妻と娘が人を使って行ったのだが。まあ、実務はもとより無理なお育ちだし、老化が重なって、腫れ物をさわるように扱われたのだろう。

1954年3月15日、エルレンバハ。
『クルル』の書き直しを少し。エーリカと再会。背面の腰のあたりに集中するリューマチ風腰痛。座骨神経痛再来への心配。エムピリンをくり返し飲む。

ハクスリンのメスカリン賛美本を読むが好きではない。

3月20日。
ホテルへ持参すべき資料や手稿を包装。きつい作業。

3月22日。
チェーホフの死後50年にあたって何か書くことになる。

3月25日。
チューリヒ、ヴァルトハウス・ドルダーに「戻って来た」。5階の部屋。市街と湖がはるかまで見渡せる。

3月26日、ヴァルトハウス。
ホテル暮らし。落ち着かない。

3月28日。
バルザックの『暗黒物語』を読む。技法上、劇的事件の前に、長い割り込みと留保があるのは注目すべきだ。

3月29日。
ビキニでの水爆実験への批判。

4月4日。
第2章を書き進める。(キルマーノク卿。自画像。)昼食後百科事典でスコットランドの研究。

4月10日。
新しい(注によると罫線付きの最後の)日記帳をキルヒベルクへの引越し前に始める。書斎用の美しい黒紅色の絨毯を1,000スイス・フランで購入。こうした出費自体がまだそもそもかけるに値するかどうかという疑問は、もちろんくり返し現われてくる。

4月12日。
キルマーノク卿とフェーリクスとの別れの部分を書き進める。

4月15日。
ヴァルトハウスで朝食後、無数の小物を(鞄に?)詰めこむ。その後、
キルヒベルク、アルテ・ラントシュトラーセ39番地へ。

エーリカと家を見て回る。書斎と図書室とのコンビネーションは抜群。蔵書の並べ方が整理するにはかなり悪い。

カリフォルニアでのように専用の浴室もある。ソファも送らせてある。4時15分から5時半までふたたび私の椅子で休息。

やっと、念願の広い家に移れた。この家には本人は1年とちょっとしか住むことはできなかった。でも、今となっては懐かしいカリフォルニアの家が再現できて、よっぽど嬉しかったのだろう。


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昼前から出かけて、お歳暮の手配。コロナ感染に注意しながらの電車移動。デパートでの食事もつつましく。

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