2021年1月18日月曜日

北杜夫のトーマス・マン好きは有名(と私は思っている)


10年位前に古本で買った北杜夫『どくとるマンボウ航海記』(新潮文庫)が出てきた。中央公論社版がベストセラーになったのは1960年頃。中学生時代に熱中して読んだ記憶がある。

トーマス・マンに言及した部分をさがしてみた。

115頁-118頁。

……リューベックに行くことができた。リューベックはトーマス・マンが生れ、かつ長編『ブッデンブロオク一家』の原型であるその家が残っている古い都市である。マンはむろん今世紀最大の作家だが、現在ドイツでは私が思っているほど(もっともこれは途方もない思い方なのだが)読まれていないようだ。……そこらの狭い路地の角で、もう十年も前はじめて『トニオ・クレーゲル』を読んだころ、私なりに夢みたあの碧い眼に、あの金いろの髪に、ふいにばったりと行き会わないものかとひそかに念じた。……

146頁。

(パリで)……Tは『ブッデンブロオク一家』の最初の部分を一節ずつカードに書きぬいたのを示し、克明にマンの技法を説明してくれた。


Tとは無論辻邦生のことだ。パリのアパートで高校時代に読んだ、(そして今も読んでいる)マンの小説のことを議論している、可憐な二人のすがたが彷彿としてくる。


この二人は、後にマンの墓参りにスイスにも行った。このとき、北杜夫はマンの墓前で涙が止まらなかったという。


辻邦生『モンマルトル日記』(集英社)277頁。

1969年8月2日にあたる部分。

……トーマス・マン――ながらく青年期のぼくを支えてくれたこの偉大な作家の墓に、ともに作家となった宗吉と詣でることになるのも、なにかの因縁かもしれない。マンの墓は……木々にかこまれ、スイートピーやサルビアや花々にかこまれている。……マンの墓石に頭をつけ、深い知恵を伝えていったマンの、その万分の一の努力でもつづけることを誓う。……(マンの家を訪ねるのは)マン夫人が病気なので、遠慮する。……(チューリッヒの)マンのアルシーブにゆく。書斎と、食堂をそのまま復元している。他の一室に原稿や資料などが飾られている。

チューリヒには私も一度は行ってみたい。コロナ禍後の旅行の第一候補をする。その前にドイツ語が読めるようにしておこう。 

辻邦生さんの日記や小説論ををもう少し読んで、マンに関する記述を集めてみようと思う。とりあえず開いてみた『モンマルトル日記』にも何ヶ所かある。

関西大学学術リポジトリの南森孚さんの論文「北杜夫とドイツ』も参考になりそう。北杜夫の著書ももっと深く調べるべき。少ないけれど何冊かは持っているものの、散逸しているので、まずは発掘しなければならない。

***

朝、寒いのでまた寝床の中で、『トーマス・マン日記』。1919年7月1日から8月15日まで読む。

7月24日。
(子供のころ出会った)「ハニ」のことを尋ねた。

「ハニ」については注釈でも不明としている。誰だろう。

ついでなので『主人と犬』も半分くらい読む。

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