2021年1月22日金曜日

新しいものが良いとはかぎらない

今朝も日和って寝床で読書。

『トーマス・マン日記』1920年1月17日から2月15日まで。フェルダフィングに2週間ほど滞在。知人(リヒター)宅の蓄音機が気に入り、いろいろレコードを聴く。『タンホイザー序曲』、『ラ・ボエーム』、『アイーダ』のフィナーレ、カルーゾ、バッテイスティーニ、メルバ女史、ティタ・ルッフォ等々、言うまでもなく、『魔の山」の終盤の記述の材料になる。この他にも、『魔の山』のマニアックな部分の材料をこの時期に精力的に仕入れている。

寝床で読んでいると、当然途中で寝てしまう。その間に夢を見た。自分がマン家の子供になっている夢。山からトラックで母親たちと降りてくる。もちろん母親はカーチャで、トラックを下りて街なかを手をつないで歩く。嬉しい。母カーチャは若く、行きずりの若い男にぶつかりそうになっても、怒らずに微笑みかける。少し困った。

目覚めたので、今度は『素白先生の散歩』を読む。素白の随筆はゆっくりと味わうように読まざるを得ないように書いてあると思う。「牛堀と長瀞」を読むと、利根川のほとりの宿屋の女が明るい色の番傘をさして立っているのを船から見ているという文章がある。その姿は船の進行に連れて雨の中に消えていく。

また、眠ってしまった。すぐに、女性が黄色い(!?)傘をさして、桟橋に佇んでいる光景を見た。これは、オモシロイ。やめられないと、また目を覚ましたときに考えた。

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素白の残した随筆は数少ない。だが、ひとつひとつゆっくり読まなければならないので、全部読むには相当な時間がかかりそうだ。時間をかけて一字一句彫琢した貴重な文章だ。古いけれどその滋味はかわらない。

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午後、思い立って、台所の水栓の蛇口の部品「TOTO 泡まつキャップ THYB68-1」を、インターネットで探して注文した。送料ともで約1000円。年末に破損して水が飛び散って困っていた。今日は金曜日で夕方注文したので、月曜日以降早ければ火曜日に届くだろう。楽しみだ。蛇口に残ったキャップの一部分(プラスティック製)は、水垢で固まっていてはずれないので、ペンチなどで無理やり外さなくてはならないだろう。昔の無骨な蛇口のほうが修理がやりやすかった。なんにでも安価なプラスティック部品を使おうとする最近の製品は困りもの。

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