2021年1月6日水曜日

皮肉屋のバーナード・ショーにくらべたらトーマス・マンは好人物

『トーマス・マン日記』、1955年3月分を読む。

1955年3月。この月は数日間をのぞき、毎日日記を書いている。比較的健康だったのだろう。実は著作の面で生産的でなかったからとも言える。「ルターの結婚」という小編を構想し、試し書きまではしていたようだ。「『クルル』続編へ戻ることはほとんど魅力ない(3月1日)」と書いてもいる。

「グリーンのマントを着せたプードルを連れて散歩」したらしい、その姿を見てみたいものだ。「カルシウム=ヴィタミン注射」を何度かうっているのはやはり、気がかり。新居の屋根の木組みにキクイムシが発生したと文句たらたらだ。

3月22日、キルヒベルク。晩、ホテル・エリーテの大広間で『チェーホフ』講演。……一時間ややかすれた声で朗読……。

3月26日。
『クルル』は60,000部から80,000部用意されていると(ベルマンとヒルシュ博士が)いう。ニューヨークのクノップからも祝電。

栄光につつまれたトーマス・マン晩年の春。近所の桜は開花直前に切りたおされた。

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昨日借りてきた『ピグマリオン』(光文社古典新訳文庫)の序文と解説を読む。そして「後日譚」も。ハッピーエンドではまったくない。戯曲の部分も読んでみると、『マイ・フェア・レディ』のロマンチックさは皆無。イライザもヘンリー・ヒギンスも非常に嫌味なセリフを吐き散らす。ピカリング大佐は映画と同じくらい好人物。フレディと結婚する設定のイライザの行末もバラ色ではまったくない。これが当時観客になぜ受けたのかよくわからない。英国流(なのか?)に皮肉たっぷりなのが、原因だろうか。1938年の映画『ピグマリオン』を観てみよう。

バーナード・ショーはノーベル賞だけでなくアカデミー賞もとっているのがすごい。

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