2021年3月28日日曜日

赤子の眼でものを見ることをもう一度学びたい

明後日のARメルマガ巻頭言の原稿を書いた。これから仲間に見せて批評してもらう。

『失われた時を求めて』を眉をしかめてではなく、楽しく読むためのコツとして「抜書き」(Mes pages choisies)を作ることを巻頭言の中で提案してみた。これは、このブログで、他の本についてはよく使っていた手法に近いことに気付いた。

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抜書きしてみた。自分用のメモにはもう少し長く。

Mes pages choisies

私は、気持ちのいい枕の両側、頰を思わせるあたりにそっと自分の両頰を押し当てる。枕の頰は私たちの幼年時代の頰のように、ふっくらとしてさわやかに感じられる。時計を見るために私は燐寸をする。もうじき午前零時になる。午前零時。それは旅を余儀なくされて、見知らぬホテルで寝なくてはならない病気持ちの男が、発作で目が覚めた拍子に、ドアの下から差し込む一条の光に喜びの声をあげる頃おいである。……


プルースト,高遠 弘美. 失われた時を求めて 1~第一篇「スワン家のほうへI」~ (光文社古典新訳文庫) (Japanese Edition) (Kindle の位置No..169-). Kindle 版. 

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Youtubeの中を少し探してみると、『失われた時を求めて』全巻を読んで、要約や、感想を述べたりしている人がいくらか居る。英語版だと6巻本が出回っているらしいが、半年かかって読んだばかりでどうどうと、ビデオを使って語っているその心意気に感心した。Internet Archiveで英語版を探して、眺めてみたが、英語版のほうが易しく出来ているような気がする。文学的にはどうなのかわからないが、手軽に読めるのなら、それでいい。ヘミングウェイがパリのシェークスピア書店でシルヴィア・ビーチにツルゲーネフとロレンスとトルストイとドストエフスキー(盛りだくさん!に)を貸し出してもらったのを思い出した。(『移動祝祭日』)

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孫たちが一昨日、花見に行った時の写真を送ってもらった。生まれて始めて見る桜の花はどのように見えたのだろうか?あとで本人に聞いてみたいものだ。



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