保苅瑞穂『モンテーニュの書斎 『エセー』を読む』(講談社)を読み進める。昨日も書いたが、この方の文章は実に読みやすい。読むと同時に、内容が自動的に頭にインプットされる感じがする。どうすれば、このようなわかり易い文章が書けるのか。その意味でもこの本を熟読したい。
そして、読んでいると、モンテーニュがどのような心構えで『エセー』を書いたのかが、簡単にわかる気になってしまった。モンテーニュの心構えそのものが、すとんとこちらの腑に落ちる。そうだ、私のブログ(日記)もこんなつもりで書いているのだった。同志が居て嬉しい。愛読している『トーマス・マン日記』はときどき、文学者の俺(マンのこと)って偉いだろうというところが鼻につくことがあるが、『エセー』にはそんなところはなさそうだ。少なくとも、保苅瑞穂さんの筋の通った解釈では、モンテーニュの等身大の姿が描かれているし、モンテーニュは『エセー』を書き、そして書き足しながら、生の自分の姿を写し取ろうとしていることがよく分かる。
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31頁。
『エセー』はおよそ20年にわたる執筆の過程そのものが一つのドラマとなった本である。46頁。
「IIの18章」を引用。読者におもねらないだけでなく、不誠実も許さない。
「言葉は魂の代弁者。」原二郎先生訳『モンテーニュ 下巻』344頁。「死は生と同じく、われわれの存在の本質的な一部分なのだ。」
52頁。
6年前出版の『エセー』に盛んに加筆。プルーストが後に『失われた時を求めて』でやったように。68頁。
「自分を貸すのはいいが、自分を与えてはならない。」意訳すると、組織に心を売るな。73頁。
(自分の)理性の奴隷以外の奴隷にはならない。相手が国王でも。82頁。
狂気の世間の中でのモンテーニュの態度。そしてそれを真似ようとして失敗したツヴァイク。
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原二郎先生の『モンテーニュ 全2巻』(筑摩書房)をひっくり返しているうちに、「詳細目次」が巻末についていたのの気づく。高円寺の古本屋さんで買って以来数年経っているのに、うかつな話だ。要するによく読んでいない。反省する。索引もちゃんとしている。
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