2021年8月24日火曜日

『本の中の世界』(湯川秀樹)、『遊読記』(種村季弘)、『振り子で言葉を探るように』(堀江敏幸)に目を通す

朝読書。昨日借りてきた本4冊に目を通す。(立花隆さん流に読む。つまりすべてを読もうと努力するのはやめておいた。)

湯川秀樹『本の中の世界』(岩波新書)

まえがき
「本を読んでいるうちに、本のつくり出す世界に没入してしまえたら、それは大きな喜びである。本を読んでいるうちに、いつのまにか本をはなれて、自分なりの空想を勝手に発展させることができたら、これまた大いに楽しいことである。」

 


種村季弘『遊読記』(河出書房新社)1992年。

1991~1983の新聞掲載書評集。主として朝日新聞掲載。

あとがき
著者には他に『書国探検記』(筑摩書房)という書評集がある。1984年。
そのときより今回の方が書評のスペースが少い。(400字詰め2枚半から3枚)

すると書評は芸当に近いものになる。当人も遊び、人様にも遊んでもらうしかない。(後者は遊んでいただけたかギモンだそうだ。)

私は、ほとんど読んでいない(空白の30年)本たちの書評。これを全部とりかえすには書評に頼るしかない。

36頁。「大福が食いたい」という題名も内容も確かに芸。解る人には解る。昔ながらのあんこの詰まった読み物が食いたい。たとえばバルザック。

 


堀江敏幸『振り子で言葉を探るように』(毎日新聞社)

357頁。(『したくないことはしない 植草甚一の青春』の書評)
植草甚一は第二次世界大戦中も東宝社員として仕事のためと称して洋書や洋雑誌を読み耽った。
本当にやりたかったのは、海外の小説を原語で読み、その喜びを人に語ること。

358頁。
「勉強」とは、好きなことを好きなだけ、妥協なしに、かつ楽しくやっていくこと。定められた路線に乗ってではなく、寄り道しながら、ゆっくりと、本人の言葉を借りれば「大正式散歩」のやり方で進んでいくこと。さらに、そこで得た知と喜びを他者と共有すること。

これは1970年代の若者にやっと理解された。#稀有のことだ。

359頁。
面倒なことを間引く社会状況には、過程を重視し楽しむ植草流は合わない。#失われた30年。21世紀に復活を望みたい。

「あとがき」的部分。
オブジェとしての本も大切だ。

他に『本の音』2002年晶文社2011年央公文庫がある!書評の私見はそちらに書いたとのこと。でも、本を読んで言葉の水脈をたどるのは大変であるという言葉はしみる。

初出一覧。媒体毎日新聞など。

あと『暇なんかないわ大切なことを考えるのに忙しくて』(ル・グィン)があるが、朝のお仕事後にまわす。レポートするかは微妙。最晩年のブログから作ったエッセイ本。


堀江敏幸さんの本で言及された、辻佐保子『辻邦生のために』(中公文庫)にも、書評集の部分があるのを発見。素晴らしい。書評ではないが、あえて言えば架空の本の書評「「浮舟」の構想をめぐって」が、またいい。書棚の本を探っていくと書評はたくさん埋もれている。そして本の背中は全部見えるようにしておく必要をまた痛感した。

「書評の勉強」のマニュアルを書いて疲れたので音楽を聴く。


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