『振り子で言葉を探るように』を読み続ける。
本の題名と納められている書評題名に使われている「振り子」というコトバの意味。あとがきに書いてあった。
短い書評の中では、本の題名を縒り返すことは不可能で、「本書」などとあっさり書かねばならない。しかし、
431頁。「「本書」などとあっさり片付けてしまった書物の、どこか気が付かない、深いところに、べつの言葉の水脈が眠っているのではないか。もっと時間をかけて汲み上げるべき言葉の層があるのではないか。」
堀江敏幸さんは自分の中の振り子が本の中の水脈に反応する瞬間をゆっくりと待て、と教えてくれている。
「振り子」とは砂漠の中で深くかくれた地下水をさぐりあてる、いわゆるダウジングに使う道具である。
自分の中に振り子を育て、心を落ちつけて、振り子のゆれを感じとるには長い時間が必要だ。これは丸谷才一さんの「藝』に通じる話かと思う。
貴重な時間を使って書かれた書評をいくつも読めるのは、現在に生きる我々の幸福と言えるのだ。書評が宝石のように周囲の光を吸い取り反射する姿を見ると畏敬の念を抱く。
堀江敏幸さんは194頁の「振り子で言葉を探るように」というモラレスの『エル・スール』の書評9行を書くのに20年を要したと言う。
書評は言葉の砂漠の上を飛ぶ飛行機だ。行き暮れて不時着したときにそこで操縦士は太古の隕石の欠片を拾うかも知れない。翌朝修理した飛行機で飛び立つときに隕石の欠片を忘れてはいけない。
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一方、こういう意見もある。
むかし高橋源一郎が書いていて面白かったのが、小説の完全な(あるいは理想的な、だったか)書評には、もとの小説の三倍のテキストが必要だ、という話。①もとの作品全部。②さらに同量の批評文。③さらにそこから生まれた新たな小説。それを数百字から数千字に圧縮する書評にはもともと暴力性がある。
— 仲俣暁生(thoughts, words and action) (@solar1964) August 26, 2021
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本日、ARのオシゴト「書評の調査収集」の第一次調査レポートを作り一般向け関連note記事とともに納品。次の「コミュニティ・マネジメント」のマニュアル作成にとりかかる。しばらく放置しておいたので気分をこちらに向けるのに時間がかかった。作成作業は30日と31日に行う。
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BGM。
LP。Cello Concerto。
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