2021年11月5日金曜日

オースターは64歳で『冬の日誌』を書いたが、72歳の「君」は「また来た春」の日誌を書くのか

日の出は6時7分。起床は5時30分。薄明は既に始まっていた。1時間前に起きるべきだった。途中からでも、とタイムラプス画像を撮る。

雲がまったくないので、凡庸な動画となった。

吉田健一『酒肴酒』(番町書房、昭和49年刊の昭和50年27版)、196頁。「酒を飲む話」

「犬が寒風を除(よ)けて日向ぼっこをしているのを見ると、酒を飲んでいる時の境地というものについて考えさせられる。そういうふうにぼんやりした気持が酒を飲むのにいいので、自棄酒などというのは、酒を飲む趣旨から言えば下の下に属するものである。」

198頁。

「犬は日光に体をまかせているともいえるので、われわれも酒を飲むときに、その意味では酒に体を預けてすこしもかまわない。」

この極意を読んで実行したら、その後は悪酔いをすることが減ったようだ。体調や飲む相手が悪い場合はしかたないが、そうでないときは気持ちよく酔えるようになったと思う。会社に入ってから10年ほど経っていた。学生時代も含めると10数年の修行が実ったのだろう。吉田健一の書き物が禅寺での座禅の警策の役割を果たしたと言っても良い。酒の飲み方を悟ったのである。気分としては水泳をするときに水に身を預けて力を抜くと自然に浮くという感じ。


ポール・オースター『冬の日誌』の再読を開始した。72頁まで。その後、訳者あとがきを覗き見すると、このとき作者は64歳。つまり冬の時代。『内面からの報告書』は心理的な記述であるのに対し、『冬の日誌』は身体的な記述であるとのこと。そして、ジェイ・マキナニ―『ブライト・ライツ・ビッグ・シティ』と同様、自己を語るのに「君」を使っていることも。数年ぶりで『冬の日誌』と『内面からの報告書』を借りてきたのは、数ヶ月前に『ブライト・ライツ・ビッグ・シティ』を読んだからかも知れない。潜在意識の影響力は馬鹿にできない。

『本当のような話』を読み続ける。オモシロイのだが、人物の来歴を語る部分が冗長であるような気がしてきた。この描写は社会批判の役割を果たしているのでやむをえないのか。ミーハー的小説ではない。またそこを期待するような読者は最初の数ページでふるい落とされている。

***

夕方、かかりつけ医に行って、40日ぶりの受診。とくに変化はない。いつもどおりの投薬(高血圧薬、高脂血症薬、抗アレルギー薬)。薬局の前の通りで、横断しようとしたら自転車が飛び出してきて急停車し、すごい顔で睨まれた。気をつけないといけない。渡るかどうかの判断力は確実に鈍っている。

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