2022年2月13日日曜日

加藤周一の『日本文学史序説』では、唐船で実朝は宋への亡命を望んでいたかも知れないとしている


まとめ方も含め、これには脱帽である。

https://scrapbox.io/monkey-search/

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加藤周一『日本文学史序説 上』(筑摩書房 昭和50年)を久しぶりに取り出して読む。源実朝に関する記述を索引を利用して探した。

243頁。

「将軍は武士の権謀術数の道具にすぎ」ないとし、それを知っていた実朝が最後の(正統な)将軍としてできるだけ官位昇進を願ったという。1216年(建保4年)の「吾妻鏡」による。その2ヶ月後「唐船」を作らせたが進水に失敗し宋に渡ることを断念したが、「計画は本来亡命を目的としたものであったかもしれない」とある。

このあと(247頁)には、鴨長明が「方丈記」で描いた「大火・地震・伝染病の流行」のことが出てくる。和田義盛の反乱後、大地震が鎌倉付近であったことが大佛次郎の『源実朝』にも書かれていた。現代のことと考え合わせてみるのも悪くない。

私の持っているのは単行本のほう、これはちくま学芸文庫版

これらも参考にしよう。
https://saigaku.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&active_action=repository_action_common_download&item_id=789&item_no=1&attribute_id=73&file_no=1&page_id=13&block_id=21

https://senshu-u.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=10769&item_no=1&page_id=13&block_id=21


https://ci.nii.ac.jp/nrid/9000406346132

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