2016年12月17日土曜日

『岩手における転形期の群像』の紹介 その7(第三部中)

『岩手における転形期の群像』(三浦宗太郎著、昭和37年、とうほくずうずうべん鼓社発行)。

 昭和20年秋以降、民主戦線を育て、民主的な人民政権の実現を願う運動の記述が続く。全国多数の民主団体・有志が、民主戦線に参加を表明する。
 岩手でも有志による、動きが始まった。筆者はその世話人として飛び回ったとみられる。ただし、社会党と共産党の県組織の動きはにぶい。

 その当時(昭和21年1月?)筆者が書いた論説が、「東北文庫 21年3月号」に掲載された。そのなかで筆者は「(労働組合やもう民組合が「人民協議会」という形をとるようになり、)ここに共産党、社会党、自由党、進歩党の政策綱領に拘束せられることなき人民大衆の、自由なる意志に基く運動が展開せられるのである。かくしてこそ始めて「人民政府」の樹立が可能となるであろう。」(202ページ)と述べている。

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 現代でも有効な考え方である。当時と今はこのような理想が実現できていないという点で共通性があり、一般の意識を考えると、かえって今は大幅に後退しているといえる。

 人民戦線はまとまらないまま、総選挙が行われ、岩手では自由党・進歩党の保守陣営が62%の得票を獲得、社会党・共産党は15%しか取れなかった。保守の地盤は固い。

 昭和21年5月、岩手の共同戦線は結成され、統一目標を掲げて活動をすることになった。本部方針をもとにした、「救国民主連盟」を作りたいとする社会党県連の態度が決定的となった。

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