2016年12月16日金曜日

『岩手における転形期の群像』の紹介 その6(第三部上)




 『岩手における転形期の群像』(三浦宗太郎著、昭和37年、とうほくずうずうべん鼓社発行)。

 第三部は「民主戦線とその周辺」、社会党、共産党と民主戦線の関係性が明らかになることを期待しながら読む。

 昭和二〇年十月二〇日、社会党結党大会。十一月八日に共産党結成のための全国協議会が開かれ、岩手県からも参加者がいた。(161ページ)

 社会党盛岡支部は、十二月一日結党。県全体としての体制ができたのは翌二十一年九月二二日の県連臨時大会。農村問題、農民組合の結成に努力した、とある。(163ページ)

 一方、共産党は労働組合組織に重点をおいた。(164ページ)

 昭和二十一年十二月七日社、共、文懇、日農、全岩手産別会議等、民主団体共催の「生活権獲得吉田反動内閣打倒県民大会」においては、なんとか足並みをそろえて、「民主人民政府樹立共同闘争委員会」結成動議が、満場一致で決議された。

 このあと、共産党、社会党の知人を紹介しながら、両党への評価が書かれている。人間的、民主運動的なつながりは、どちらの党の人々に感じていたらしいが、共産党中央の「職業革命家」の権威主義や立身出世主義には反発を感じていたようだ。(181ページ)

 どちらの党にも非常に近い立場にありながら、入党はしていなかったのか。

 

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