2016年12月25日日曜日

旨いご馳走を食べたら、ビデオを観て本も読む

息子様からのクリスマス・プレゼント\(^o^)/

クリスマス・イブのご馳走の準備では、よく家人と意見の相違が生じる。「(いつもより)高級な材料を使っているのだから、丁寧に調理し、見栄え良く盛り付けてね!」、「ハラ減ってるんだから、適当でいいでしょ。それより早くビールのみてー。」「サーモンはサラダの上にバラの花のように…。」
 まあ、なんとか無事終了。


 フィリップ・K・ディック(面倒なので(^^) PKD と略す)の『高い城の男』を読み続ける。チルダンという米国人骨董商とセレブな日本人夫妻との会話とチルダンの心理描写の絶妙な組み合わせ。

 同時並行でPKDをテーマとした様々なビデオを、Youtubeで観る。TEDもあるし、フランスで制作されたものもある。フランスでもPKDは人気あるんですね。いや、PKDの皮肉はフランスや日本でのほうが本国アメリカでより評価されやすいのかも。(あくまでも個人の主観的感想です。)


 このように(一般の)ビデオと小説を交互にみていると、媒体の違いに意識が向いてくる。

 ひとに見せられるビデオを実際に制作するのには大変な時間と金と手間がかかりそうだ。「ベンツSL220に乗って…」と一言書けば、セレブな感じを表現できるのが小説なら、実車を用意して通行を遮断してロケするのに何日もかかって10秒の作品を作るのがビデオだろう。

 コストパフォーマンスは圧倒的に違う。小説のほうが受け手を考えさせるという意味で、優れている。狙うところが違うといえばそれまでだが。

 われわれの仕事にもこのような事象は発生していそうだ。
 システムのプレゼンテーション(ユーザーインターフェース)の重要性はよくいわれる。ただし、システムの対象となる仕事上の概念をハンドリングするのに、気の利いた手段は他にもあるに違いない。
 システム・ユーザーのIT成熟度によって、話が異なってくるという厄介さも、ビデオと小説の関係に似ている。

 ところで、普段とちがう料理をうまく失敗せずに作るには、最終的な(食べる前の)イメージを、きちんと定義する必要がある。このイメージを定義するには言葉は非常に無力で、絵やビデオが強力なのは間違いない。やれやれ。

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