2017年1月23日月曜日

学歴の壁に悩んでいるうちに、伯父トーマス・マンに呼ばれたぞ

 『Man of the World』の続きを読んでいたら、また胃が痛んできた。稀勢の里の優勝祝で食べすぎたらしい。

 クラウス・Jr君の手記は続く。軍曹にはなれたが、このあとの昇進の見込みはなさそうなので、リッチモンドで除隊することにした。軍での勤務成績はまずまずだったので、推薦状をもらって、米国市民権をとることにした。しかし、役所で判事にきびしい質問をされた。朝鮮でのマッカーサーの作戦は間違っていると批判したそうではないか。他にも政治的思想が偏っているという情報もあるぞ。

 このような場面では、クラウス・Jr君の物怖じしない性格が役立つ。米国は自由の国と聞いています。それに、マッカーサーは結局中国軍を戦争に引っ張り込んだので、トルーマンによって解任されたではないですか。
 これを聞いて、判事はしばらく考えた末、わかったと言い、市民権をもらえることになった。

 晴れて市民権も手に入り、除隊して自由の身になったので、ワシントンに行き、政府関係で日本語を活かせる仕事を捜すことにした。日本との通商関係もできつつあるではないか。
 まず国務省に行った。申請書を描いて受付の若い女性に渡した。書類をみながら、彼女は、名誉除隊なのですね何年軍隊にいたのですかと聞いた。答えた。4年ですか、どういった教育を受けてきましたか。東京で高校を出、そのあと日本語と日本文化の学校に通い優等で卒業したと答える。そのあとは、軍隊内で語学の先生をやっていました。

 学位はあるんですか。と彼女は畳み掛けてきた。最低でも学士でないと駄目です。専門的な仕事だと修士や博士号が必要です。クラウス・Jr君は申請書をふたつに破いて、さよならと言った。
 FBIに行っても駄目、他の省庁も同じだった。

 ニューヨークに行きマン伯父の知人などを訪ねたが、仕事はない。やむをえず、新聞広告で見つけた、あやしげな輸入品の運送業者(ドイツ系)に直接交渉し、採用してもらった。週給48ドルでなんとか雇ってもらう。輸入された物品を米国内のいろいろな場所に鉄道で送るための伝票を作る仕事だ。iヶ月ほど勤めて、週給も55ドルになったが、どうも面白くない。軍隊内でもそうだったが、クラウス・Jr君は事務作業は嫌いなようだ。
 
 叔母のマン夫人から手紙が来た。知人のフランクの指揮するオペラ「魔笛」を気晴らしに見てきなさい。そして、これは大事なことだけれど、トーマスと私は欧州に帰ろうと思っています。どうも米国の政治事情が思わしくないから。スイスで休暇を取るふりをして、そのまま欧州に留まるつもりです。だから、カリフォルニアに来て、私達の邸宅の管理をして欲しい。すぐに車をとばして帰ってきなさい。

 クラウス・Jr君はさっそくヒルマンを飛ばしてカリフォルニアに行った。
 トーマス・マンは「ハリウッド10」を擁護するスピーチを公刊していた。密告者のひとりは俳優組合の議長のロナルド・レーガン(後の大統領)だった。ナチス時代にヒトラーの配下がやっていたようなことが米国でも始まっていたわけだ。

 マンはすでに77歳。肺の病気もあり弱っていた。(147ページ)



 ここで、私も力尽きて寝ることにしたので、続きはまた次回。ともかく、稀勢の里優勝は良かった。多くの人に努力は報われることがあるという勇気を与えた\(^o^)/

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