2017年2月14日火曜日

マイルスはヘロインを断った!そして至高の芸術へと再出発する

 バレンタイン・デー、昨年と同様にミニカー付きのチョコレートを頂いた\(^o^)/



 蛋白質の不足と、糖分の過剰は胃に良くないという説を聞いたので、思い当たる節もあり、昨夕から鳥の胸肉と低脂肪牛乳や卵中心の食事にした。取りあえず調子は良い。

 『マイルス・デイビス自叙伝 1』のつづき。
 ビリー・ホリデイやチャーリー・パーカーの例をあげて医療用の麻薬の効果も述べている。
 ただしマイルス本人は超人的(といっていい)努力で、ヘロインをやめた。1回でやめきれた訳ではないが、とにかく理性の力で克服した。いい気分だった。

 突然ニューヨークに戻るのは、誘惑が多すぎて危険なので、デトロイトに行った。クリフォード・ブラウンとも一緒に演奏する機会があった。
 ボクシングのチャンピオン、シュガー・レイ・ロビンソンを見習って麻薬の魅力に対抗して頑張った。ニューヨークに戻る自信も湧いてきた。

 19542月にニューヨークに戻った。カルテットでレコーディングしたいとブルーノートとプレスティッジに電話した。3月にレコーディングできた。アート・ブレイキー、パーシー・ヒース、ホレス・シルバーと一緒だ。名作「ウォーキン」はこのときのものらしい。

 夏にはソニー・ロリンズの曲もやった。
 ヘロインはやらなかったが、コカインは常習癖に陥らないので少しやっていた。

 ヘロインをやらなくなると自信ができ、批評家の戯言には耳を貸さなくなれた。大きな態度だと批判する奴らもいたが、気にしなかった。演奏がすべてだ。

 ボクシングをまた習い始めた。シュガー・レイのボクシングも演奏も同じだ。正しい奏法がマスターできたら、あとは自分のやりたいこと追求すれば良い。

 ギル・エバンスの助言を受けるようになった。


 ジュリエット・グレコがニューヨークにやってきた。1949年以来久しぶりにウォルドルフ・アストリアで会ったが、仲はぎくしゃくした。後にはまた仲良くなるのだが。

 12月に「マイルス・デイビス・アンド・モダン・ジャズ・ジャイアンツ」をレコーディングした。

 19553月にバードが死んだ。気が滅入った。ヘロインをやめる奴が増えた。(312ページ)

 どんな時にもマイルスは音楽一筋だった。栄光の高みは近い。


 ところで、昨夜松岡正剛先生のブログを読んでいたら、ドゥルーズという哲学者のことが出てきた。Twitterで坂口さんも触れていたのを思い出した。Kindle無料の本はないので、お試し版をダウンロードして読んでみた。翻訳だが、妙に読ませる。中古本を入手して読んでみたくなる。


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