数日前から、手習いを再開した。明らかに空海を勉強したせいである。喜ばしい。
「再開」としたのは、高校生時代に書道の授業を受けて
感じるところがあったからだ。書道の先生のお名前がすぐには出てこない。調べれば分かるが…。彼はお前の姉さんのX子はよく練習した。ところがお前はほとんど授業中遊んでいたとお小言をくれた。遊んでいたのではない、一枚書くとそれ以上上手には書けないとわかったので、教科書のお手本の由来を調べていたのである。
このおかげで、最近読んでいる本に出て来る、昔の偉大な書家の名前に親しみがある。考えれば良い授業だった。当時はつまらなくても後で受けてよかったという授業は多い。数十年かけないと良さはわからない。効果を気にしてすぐカリキュラムの手直しをするのは愚の骨頂だろう。
いま、読みつつ有るのは石川九楊先生の『書を学ぶ』(1997年 ちくま新書)。初心者向けの本なのだが、手習い再開老人には便利だ。
序章、「書の美しさはどこからくるか」。良いイントロ。
第一章、「書の技法」。(今、ここ)
「1 文房四宝」、まず、道具の選び方。紙、筆、墨、硯、下敷、文鎮、筆巻、以上が七つ道具だ。私は当面、iPadの毛筆ソフトを使うので不要。余裕ができたらいい筆や紙を買いたい(*^^*)この態度は石川九楊先生には怒られそうだが、貧しいので許してもらう。
「2 手本の選び方と書体」。
まず、楷書から始める。仮名も同時に。後に、行書・草書に進む。これは、アグリーです。
楷書の手本は「雁塔聖教序」(褚遂良)か、「九成宮醴泉名銘」(欧陽詢)。この「法帖」(手本の印刷本)を買いなさいとあるが、やはり、予算の都合上、インターネット上の画像で我慢しておく。余裕が出来たら…
仮名の手本は「寸松庵色紙」と「枡色紙」を選ぶ。書法だけでなく構成法も同時に学ぶこと。はいはい。
「梅雪かな帖」のほうが現代的でいいかもしれない。
歌の場合は仮名を書きながら歌うのが良いと。なるほど。
行書は「三折法」で書かれた「松風閣詩巻」(黄庭堅)から。高校で習った「蘭亭序」や「集字聖教序」(王羲之)は後にする。前者が楷書と馴染みが良いから。
草書は「自叙帖」(懐素)だそうです。
これらの手本を弛みなく学び続ける。そのうちに自分なりの書体が出来てくる。ただし、その後も臨書は続けるべし。
筆の持ち方や永字八法などはこの後出て来るが、必要に応じて読んでいこう。
石川九楊先生は高校の先生とおなじく、基本に忠実にしっかりやれと書いておられますが、こちらは古希に近づいている人間が趣味で書くので、好きにやらせていただきます。注文済みの會津八一先生の本も参考になるでしょう(*^^*)
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