石川九楊先生の『書を学ぶ』(1997年 ちくま新書)を謹んで読み始める。
最初に総論がある。14ページ。
「西欧言語学が、文字を言葉に外在するものと考え…我々とは異質な言葉と文字の関係をつくり上げた…」
15ページ
「東アジアにおいては…「形写による表音」という文字・漢字と化した…「書きぶり」を伴う発語=書字が内在的である…」
17ページ
「筆記具と紙(対象)との接触の手応えの中から、対象を識り、対象を識ることによって自己を識る…自覚された触覚が筆跡として対象に残される…「筆触は思考する」…」
まさに、我が意を得たり、と言うと格好いいが、数年前にも石川先生の本を読み、このようなことは教わっていた。それをまた最近思いだしたというに過ぎない。「筆触」を忘れないために、iPadやスマホに手書きソフトを入れてメモや文章を書いていたが、それは続けている。
ともかくしばらくは、例を見て臨書しながら、この本を読み進めよう。臨書の最初は褚遂良の「雁塔聖教序」の楷書の「日」かしら。
うーん。まだ、形が写せるだけで、考えてない。修行しないと(T_T)
草書、行書、楷書の順に漢字書法は成立してきたわけだが、やはり、習うには完成度の高い楷書からはじめて、行書や草書へそして雑書体も勉強すべきだろう。
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