佳境に入ってきた。面白いといっては、少し申し訳ないが、ページを繰るのがもどかしいほどだ。
222ページ付近。戦争により精神を病んだ彼だが、「書く」ことで、精神の平衡をからくも取り戻した。アメリカには戻らず、除隊せずにドイツで暮らす道を選ぶ。当時の体験から書いたのが「想い出の少女」。本棚をあさって読んでみたが、背景を知って読むと、一層感慨深い。悲しい話だ。
226ページ。サリンジャーは戦後一年間、ドイツで戦犯の捜索、逮捕を行っていた。この期間、結婚もしている。
234ページ。米国に戻る。妻はサリンジャーを溺愛していた母親と折り合いが悪く、欧州に戻ってしまう。サリンジャーは作家業に戻ったが、編集者とトラブルが続き、編集者嫌いとなる。
248ページ。ニューヨーク市内を離れ、郊外に移り住む。ヴィレッジの誘惑のない場所で執筆に専念。ニューヨーカー誌の専属作家にもなった。生活に追われての執筆という軛からは逃れることができた。いよいよ本格的に長編小説(ライ麦畑…)に取り掛かれる。
280ページ。文名のあがったサリンジャー。カート・ヴォネガットやフィリップ・ロスやアップダイクに影響を与えた。
#この作家たちの作品もベストセラーになり、日本でも読む人が多かった。
290ページ。「エズメに…」を書く。無垢な少女に心の傷を癒されるX軍曹(サリンジャーのこと)を描く。#「エズメ」もこれから読み直したい。「シーモア・序章」も読み直すぞ。
300ページ。やっとできた「キャッチャー・イン・ザ・ライ」。自信を持っていたが、また編集者や出版社とトラブル。担当者は作品の良さを認めたが、エライさんがわかってくれない。なんとか、出版にこぎつけるが、トラブルに嫌気が差し、1951年クイーン・エリザベス号でイギリスに旅立つ。イギリスでも出版の運びにはなっていたが、その直前にまた、米国に舞い戻った。帰りは
モーリタニア号に乗船。
#このあたり「ノルウェイの森」出版のときの村上春樹を思わせる。村上春樹はその後も作品を発表し続けるが、サリンジャーはなぜやめたのか。「研究課題」
出版された「キャッチャー・イン・ザ・ライ」は、思いがけないほど大きな反響を呼び始めた。
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息子から外猫写真がまた届いた。違う猫だ。しかも目にLEDが仕込んである。アンドロイド猫かもしれない(嘘)
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