2017年11月10日金曜日

サリンジャーはやはりPTSDだったのか

 1945年の夏、ニュルンベルク出入院して治療を受けている旨、ヘミングウェイに手紙を書いている。213ページ。

 書く力を再発見して、その力を持たない兵士たちのために用いた。戦争体験から生じた疑問、生と死、神について、人間の存在などの問題に対する解答を得ようとした。219ページ。

 これがどのように後年の隠棲につながるのか。スラヴェンスキーの物語は続く。

 戦争の体験は、おぼっちゃま育ちのサリンジャーにはきつすぎた。母親の愛情がここでは裏目に出てしまったのはやむを得ないのか…

 母親といえば、「フラニーとズーイ」の、「ズーイ」冒頭に出てくるユーモラスなグラス夫人が思い出される。もちろん、サリンジャーの母親がモデルだろう。

 本を探したら、文庫本が3冊出てきたぞ。



 私が学生時代を過ごしたのは1960年台から70年台前半。「ライ麦畑…」や「フラニーとズーイ」は学生たちのなかでは、人気のある本だった。原書を持っている人が多かった。私も持っていて、なんとか読んだが、やはり野崎孝さんの訳本の助けを借りないと、楽しめなかった。進んだ友人は「ナイン・ストーリーズ」なども読んでいたらしい。

 映画「卒業」(日本では1968年封切)の原作本も、頑張って読んだ気がする。映画をさきに観たので、英語がよくわかったつもりになっていた。

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 外猫のはなちゃん。友人いや弟が居なくなったので少しさみしそう。



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