「サリンジャー…」を読み終えて、彼の著作をすこし紐解いている。「Franny and Zooey」は三種類の翻訳本(鈴木・野崎・村上訳)がある。もっとありそうなので探してみたい。原書も学生時代に持っていたのだが、どこかにいってしまった。ひょっとすると実家においたままでもうなくなっている可能性もある。Kindleで入手をかんがえようかしらん。
Zooeyの冒頭で、洗面台の棚の中の雑多な商品を列挙する記述がある。そのうちの一つ、最近の訳では「デンタル・フロス」となっているものを、「塗蠟絹糸」としたり(#理屈にあった訳ではあるが非現実的)、「歯ブラシ」と大胆に意訳しすぎたものもある。
時代とともに翻訳の結果は変わっていく。これは仕方がない。文脈上破綻がなければ許されるのだろう。「クリネックス」は三者ともおなじで今となっては問題ないが、1960年台では日本の読者のほとんどはわからなかっただろう。箱入りのティッシュをみたことがない人には無理。
そもそも、時代とともに移り変わる商品名を、長く残るべき文芸作品に使うかどうか、については慎重に考えなくてはならない。この場面で40種類も並べたのはサリンジャーのやりすぎなのではないか。
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朝の5時によく目が覚める。忙しいときは起きてしまうが、暇なら二度寝する。今朝の5時に起きた時に、TwitterやFacebookを覗いてしまった。面白い記事があったので、Tweetした。
— 隠居老人こと福地博文 (@hfukuchi) 2017年11月13日
この後、この記事の方法でたしかにいつもより鮮明な夢をみた。しかし、油断してメモを取らなかったので、内容を忘れた(T_T)
明日からはメモ用紙と鉛筆を枕元に用意しておこう。
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サリンジャーは、多分戦争体験が邪魔をして、「夢」と潜在意識を有効に使えなかったので、作品発表に行き詰った。という仮説も考えた。今後検証してみたい。
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「私のファッション屋時代」(赤木曠児郎 1997年 近代文芸社)を読み始めた。赤木画伯は湯川博士に影響されて入った、岡山大理学部物理学科出身だが、数式が苦手で教養部時代に物理の単位を落とした。と書いてあった。よく卒業できたとおもうでしょう。
先日の日仏会館での講演会で、種明かしがあった。当時岡山大学には東大や京大から夏休みなどに有名教授が集中講義に来た。それに出席して講義だけ聴けば、単位をくれたのだそうである。のんびりした良い時代だ。
それでいて、卒業の2,3年後に得体のしれないことをやっている(つまり「まとも」な会社に就職していない画伯を心配して先生が訪ねてきて、就職を世話しようとしたらしい。ますます良い時代だ。
画伯は私より15年先輩だ。
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