主人公の咲耶が重い腸チフスで入院し、回復した後北海道に渡り、鰊漁を見聞するあたりで、読書スピードが上がってきた。
これを私は「フロー状態」と呼んでいる。物語に没入できる。主人公の体験として作者が語る物語のイメージが直接伝わってくる。辻邦生先生の思い描いたイメージとほぼ同等なイメージがこちらの体に伝わる。
こうなる前は、字面を追って、頭でストーリーを理解しようとぎくしゃくと努力している状態。フロー状態になると、読んでいる自分がストーリーのなかに存在して動いている感覚になる。
読書によるカタルシスを与えるには、このようなフロー状態を読者に体験させなくてはならない。それによる感動は理性や知識でなく、読者の感情に訴える。感動することにより、そのストーリー内容は長期間の記憶に耐える。表面上は忘れ去られても、似たような感動が後年の読者を刺激すると、記憶回路からストーリーやイメージが飛び出してくる。
ある意味ではこれは危険で、読者が創作を行っている時に、過去の読書経験を無意識に思い出して、自分の創作物中に書きこんでしまうことがある。場合によっては盗作問題が生じる。「無意識」を制御して「意識」によるコントロールを行うことが必要。このコントロールの技術的な話は、G.M.ワインバーグ先生の「文章読本」にある。「無意識」の制御を行うか否かは、本人の直感に頼らざるを得ないのだが。
ともかく、「樹の声 海の声」に関してはフロー状態に入れたので、残りの900ページは、あっという間に読めるだろう。
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あいかわらず、当時の本を国会図書館デジタルコレクションで参照しながら読んでいる。
終戦直後の本と戦争開始前の本とでは、読みやすさが違う。年代は新しくても終戦後の本は、不鮮明だ。「樹の声 海の声」と関係ないが、「黄河の水」という本で比べてみた。
1949年版。
1936年版。
紙質の違いが大きい。終戦後は劣悪な「酸性」紙を使っている本が多いと思う。変色が激しい。
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今朝の夢日記。面白い夢だった。
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