2019年5月21日火曜日

OLD REVIEWS試作版第十五弾…「読書遍歴」より(三木清)

昨日に続いて、三木清の『読書と人生』から

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讀書遍󠄁歴 二

私がほんとに讀書に興味をもつやうになつたのは、現在滿洲國で教科書編纂の主任をしてをられる寺田喜治郎先生の影響である。この先生に會つたことは私の一生の幸福であった。確か中學三年の時であったと思ふ、先生は東京高師を出て初めて私どもの龍野中學に國語の教師として赴任して來られた。何でも以前文學を志して島崎藤村に師事されたことがあるといふ噂であった。當時すでに先生は國語教育についてずるぶん新しい意見を持つてをられたやうである。私どもは教科書のほかに副讀本として德富蘆花の『自然と人生』を與へられ、それを學校でも讀み、家へ歸ってからも讀んだ。先生は字句の解釋などは一切教へないで、ただ幾度も繰返して讀むやうに命ぜられた。私は蘆花が好きになり、この本のいくつかの文章は暗誦することができた。そして自分で更に『靑山白雲』とか『靑蘆集』とかを求めて、同じやうに熱心に讀んだ。冬の夜、炬燵の中で、暗いランプの光で、母にいぶかられながら夜を徹して、『思ひ出の記』を讀み耽ったことがあるが、これが小說といふものを讀んだ初めである。かやうにして私は蘆花から最初の大きな影響を受けることになったのである。

私が蘆花から影響されたのは、それがその時まで殆ど本らしいものを讀んだことのなかつた私の初めて接したものであること、そして當時一年ほどの間は殆どただ蘆花だけを繰返して讀んでゐたといふ事情󠄁に依るところが多い。このやうな讀晝の仕方は、嘗て先づ四書五經の素讀から學問に入るといふ一般的な慣習󠄁が廢れて以後、今日では稀なことになつてしまった。今日の子供の多くは容易に種々の本を見ることができる幸福をもつてゐるのであるが、そのために自然、手當り次第のものを讀んで捨ててゆくといふ習󠄁慣になり易い弊がある。これは不幸なことであると思ふ。もちろん教科書だけに止まるのは善くない。教科書といふものは、どのやうな教科書でも、何等か功利的に出來てゐる。教科書だけを勉強してきた人間は、そのことだけからも、功利主義者になってしまふ。

もし讀書における邂逅といふものがあるなら、私にとって蘆花はひとつの邂逅であった。私の鄕里の龍野は近年は阪神地方からの遊覽者も多い山水明媚の地であるが、その風物は武藏野などとはまるで違つてゐる。その土地で大きくなった私が武藏野を愛するやうになつたのは、蘆花の影響である。一高時代、私は殆ど每日曜日、寮の辨當を持って、ところ定めず武藏野を歩き廻つたことがある。それはその頃讀んでゐた芭蕉などに對する靑年らしい憧憬でもあつたが、根本はやはり『奧の細道』でなくて『自然と人生』であつた。蘆花を訪ねたことは終になかつたが、彼の住んでゐた粕谷のあたりをさまよつたことは一再ではない。利根川べりの息栖とか小見川とかの名も蘆花を通して記憶してゐて、その土地を探ねて旅したこともある。彼によつて先づ私は自然と人生に對する眼を開かれた。もし私がヒューマニストであるなら、それは早く蘆花の影響で知らず識らずの間に私のうちに育つたものである。彼のヒューマニズムが染み込んだのは、田舎者であった私にとって自然のことであつた。今も私の心を惹くのは土である。名所としての自然でなくて土としての自然である。それは風景としての自然でさへない。芭蕉でさへも私には風流に過ぎる。風流の傳統よりも農民の傳統を私は尊󠄁いものに考へるのである。尤も、蘆花の文學は農民の文學とはいへないであらう。私は今彼を讀み直してみようとは思はない。昔深く影響されたもので、その思ひ出を完全にしておくために、後に再び讀んでみることを欲しないやうな本があるものである。

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出典
『読書と人生』 三木清 昭和17年 小山書店

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物心つく頃の読書を、良い指導者の示唆のもとに出来たのは、三木清の幸運だった。ここで触れられている徳富蘆花の本はみな国会図書館デジタルで読める。明日、目を通してみよう。

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『金栗四三 消えたオリンピック走者』(佐山和夫 2017年 潮出版社)を一日で読了。なかなかおもしろい。金栗四三の晩年を大河ドラマでこれからどう扱うのか、楽しみだ。

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前線通過で荒れ模樣の一日。

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