2019年6月12日水曜日

OLD REVIEWS試作版第二十弾…『前原寅吉天文論文集及身辺雑集』の小序抜粋

前原寅吉による小序

南北極探險に幾多の人命を犧牲にせしぞ。幾程の多額の財を投ぜしぞ。而して辛じて其の驚異なる風光に接し得たるもの幾人ぞ。思へば危險なる事限りなし。しかれども我がなせる學天文の學は大空に書かれし幾多の文字を、只一脚の望遠鏡により苦もなく、 易々と讀み得るなり余幼少時より天體科學 に志し、秋天に明月を仰ぎては、宇宙の眞美にあこがれ、又月なき夜燦然としてまばゆき寶石をまき散らせるが如き大空の星を望みては宇宙の極美を思ひしこと幾度ぞ。

思へば古き昔の夢とはなりぬ。余心を宇宙の研究にむけてより、五十有一歳、不幸明を失ひたれども未だ邦家天文學界に何等かの貢獻をなさんものと、 家族を指導して觀測せしめ研究學を廢せず今に至る、三十有餘年なり。

其の間余は自ら天體寫眞を撮影なし、又天文學に關する新説、論文を作りこれを斯道の大家に送りて論をたゝかひ、又諸種の發明品を造りて人類共存共榮に資せしこと多々なりき。余不幸にして高等の教育を受けず只に高等小學校を卒へるのみ。爾來天體研究へのあこがれは余をして獨學せしめき。其の頃余は宇田川淸一郎先生譯書、物理學全誌(全卷十卷あり)を繙閱し或は古代天文表 (天動説時代に出版されたる)によりて研究したりき。

明治十五年より今五十七歳なるまで余が手寫せる天文日誌は、今に余の獨學研究時の跡を語るなり。世は開け、智は進み、天文は研究せられ、明治四十一年四月一日、斯道の大家等により、日本天文學會設立せらるゝや、余は先輩にして本縣出身なる故一戸博士の紹介によりて特別會員となりて同會に入會、今に至る。

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出典 『前原寅吉天文論文集及身辺雑集』 宇宙互愛研究所  昭和7年
国会図書館デジタルコレクション(下の画像も)

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青森県八戸市番町で時計店を営みながら、独学で天文学を学び、観測をし論文も書いていた、市井の科学者、前原寅吉の『前原寅吉天文論文集及身辺雑集』が見つかり、喜んだ。
彼は、ハレー彗星の太陽面通過観測に成功したという。後年は失明しながらも家族の助けで観測と研究を続けた。1872年生まれ、1950年没。私も近くに住んでいたが、幼かったこともありお目にはかからなかった。残念。

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