玄奘の著述としては唯勅によつて撰した西域記一部十二卷があるのみである、此書は勿論玄奘の西天歴遊の實錄であるが、彼は其材料を給したのみで、編次文を成したのは恐らく其門人辯機であつたのであらう。是れが抑も此書の初に「玄奘奉詔譯、辯機撰」と署する所以ではなからうか。思ふに玄奘が印度に於て蒐集將來した經典は總べて五百二十筴、六百五十七部、一千帙の多きに達し、而して此等は何れも支那に未だあらざる所であり、假令ひ旣に翻譯せられたとしても、其本文に於て多少の異同あり、又翻譯の完きを得ないものがあつたので、彼は一代の心血を經典の譯出に濺ぎ、教義の祖述󠄁には其遑を有せなかつたが爲めであらう。而して經典翻譯の啻に玄奘に最も適󠄁した事業であつたのみならず、その後世の學者を裨益する大なるもののあつたことは、到底教義祖述󠄁の比ではなかつた。玄奘は此點に於て亦洵に能く己を知るものといはなければならぬ。
玄奘は實に古今に獨歩し、東西に倫を絶した大翻譯家であつた。但その譯する所の部數卷數に至つては、古來其傳ふる所區々にして、一見人をして何れの果して眞なるかを判定するに苦しましむるものがないではない。
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出典 『東洋文化の研究』(松本文三郎 大正15年 岩波書店)
国会図書館デジタルコレクション(下の画像も)
なお、玄奘関係部分の目次は以下の通り
玄奘の研究
一 偉人玄奘
二 玄奘三藏の寂年に就いて
三 玄奘の著譯書に就いて
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大旅行家にして大翻訳家の玄奘(三蔵法師)は、皇帝の命により、西域記を作ったが、実際に筆を執ったのは弟子の辯機だという。玄奘にとってはおびただしい経典を漢訳するプロジェクトを編成し指揮するほうが、急を要することだった。予算獲得のための方便として西域記を皇帝に与えたのかもしれない。
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