『評伝バルテュス』をまたも、朝に読む。165頁、彼の住まいは、パリのロアンの袋小路、モンテ・カルヴェッロ城、メディチ館、シャッスィー、ロッシニエールのグラン・シャレーなど。たいてい住まいは自分で指揮して手入れをしてから住む。それぞれ画の背景にもなるので当たり前とも言える。メディチ館では館長として組織の手入れもしただろうから、大変だっただろう。
179頁。「東方より来た奥方」、これは章の名前だ。節子夫人とは1962年に知り合って、1967年には結婚。
180頁。このころの代表作。「トルコ風の部屋」(メディチ館?)、「黒い鏡を見る日本の女」、「朱色の机の日本の女」
199頁。グラン・シャレーの藤棚の机の上で、クロード・ロアはこの本の原稿を書いている。現実に文章が追いついた。
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午後までに、『想父記』(寿岳章子 1993年 人文書院)を読んだ。政治的活動もきっちりやる両親と娘。息子の天文学者潤氏は一線を画す。
『父と娘の歳月』(寿岳文章・寿岳章子 装丁栃折久美子 1988年 人文書院)も途中まで読んだ。この本が出たときはまだ文章先生は存命だった、多分、栃折久美子さんの装丁に美しい和紙のモチーフが使われて、ご満足だっただろう。
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夕方、台風に備えて、買い物にでかけた。スーパー二軒をまわり、明後日までの食料品を買い整える。ついでに、図書館にも行き、三冊借りてきた。この『JR』という小説は、二段組で900頁以上ある。べらぼうだ。二週間の期限内には読めないだろう、延長が必要かも。
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