弘法大師のことも考えた。かれが持ち帰った多数の経典や資料類のこと。『御請来目録』を見ると、多岐にわたっており、唐での収集の苦労も考えると、単なる資料の山でなく「図書館」を持ち帰ったと言っても良さそうだ。また、持ち帰られたこの「図書館」の威力は、たとえば司馬遼太郎の『空海の風景 下巻』(中央公論社)に詳しい。当時の宗教界だけでなく国を揺るがせるような爆発力だった。
https://ndlonline.ndl.go.jp/#!/detail/R300000001-I000001253738-00
『御請来目録』は、『弘法大師著作全集』に書き下ろしが収められているが、原本に近いものはここで見られる。
https://archives.koyasan-u.ac.jp/view/resource/210008?keyword=
『弘法大師著作全集』第2巻の書誌:
https://ndlonline.ndl.go.jp/#!/detail/R300000001-I000001237196-00
(この全集は、感心なことに、就職直後に買って持っている。)
今の図書館はこのような力を持っていないのではないか、と考えるのは早計である。一般に考える「図書館」でなく、インターネット上の架空の図書館も考えるべきだし、検索エンジンが発達した現在では、ほぼすべてのデータ資産を活用することができる。世界は「図書館」に満ちていると言っても良さそうだ。
図書館を、力のある「図書館」たらしめるのは、活用されるデータの集積の静的な価値だけでなく、そのデータの持つ潜在力による。そして、それを使いこなすヒトの経験や潜在する活用能力に負うところが大きい。これら全体のコラボレーションにより、社会が動かされる。
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