2020年5月22日金曜日

『猫を棄てる』(村上春樹 文藝春秋)や、『独楽園』(薄田泣菫)の境地にはたどりつけてない

『猫を棄てる 父親について語るとき』(文藝春秋)読了。



「猫を棄てる」と書名にあって、村上春樹さんが猫を棄てるのかそんな筈はない、いやイワシは棄てたっけかなどと思っていたが、読んでみると猫は戻ってきたので安心した。猫の話は話の糸口に過ぎず、本題は村上春樹さんの父上の回想だった。

自分もそうだが、母親はともかく父親を真面目に語る息子はなかなかいない。恥ずかしいからでもなく、詳しく知らないからでもなく、父親と息子の間の妙なわだかまりがある。

71歳の今、(村上さんもそうだ)父親のことを書けるかというと、まだ難しい。村上春樹さんの勇気(?)に感心した。義父のことは以前ブログで書いたのだが。

80歳になったらまた考えよう。

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ALL REVIEWSの書評ピックアップで、高遠先生の書かれた『独楽園』(薄田泣菫)の記事を読んだ。気になったので、『独楽園』を捜して読んでみた。青空文庫と国会図書館デジタル・コレクションで。パーキンソン病で苦しみながらも、孤独の中で自宅の庭の小さな自然の美しさを見つけて、自らを慰める薄田泣菫の様子に心打たれる。コロナ禍のなかで読むにはピッタリだが、薄田泣菫の境地には、まだ手が届かない。

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1213008

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