2020年7月6日月曜日
サガンは執筆というメフィーストフェレスに操られるファウストのようだ
『サガン 疾走する生』(マリー=ドミニク・ルリエーブル 永田千奈訳 2009年 阪急コミュニケーションズ)を読み続ける。
55頁〜56頁。
当時の『パリ・マッチ』誌記事によると、サガンの日常は、スポーツカーを運転し、日光浴をし、カジノへ行き、バーで飲み、の繰り返しなのだそうだ。でも実際には、ベッド、長椅子、ハンモック、海岸、ソファ、待合室、飛行機、ホテルで常に読書をしていたのだ。
58頁。
2台めのジャガーXK140、ロードスターを購入。1台目より高性能。今でもクラシックカーとして売られているが、安くても1000万以上(^o^)
59頁。
サントロペの海はエチレンブルー。一年しか行かなかった。サントロペ滞在が流行りになってしまったから。
62頁。
くだらないことの真っ只中で、「書くこと」はくだらないことではない。
70頁。
カジュアルファッションを結果として流行らせる。
71頁。
サントロペではなく、ノルマンディーに行く。
100頁。
少女の時、一人で寝るのが怖かった。母と寝ていた。フランス電力の重役の父もフランソワーズを甘やかした。
100頁。
姉のシュザンヌは、カルフールの創業者の一人と結婚。後に離婚。
105頁。
学校は嫌いだった。話が合わないのでつまらない。年上の子たちと遊ぶ。それより読書にふける。8歳の時には父の電気自動車(テスト的に作られフランス電力の幹部社員に提供されていた)を運転していた。
107頁。
ニュース映画で、ブルドーザーで運ばれる死体を見て衝撃を受ける。
111頁。
フランスでは過去50年、「戦争」がまともに文学で取り上げられない、と著者。文学は物語を拒絶し、「言語学」に堕していると。たとえばロブグリエの『消しゴム』があるのだそうだ。
113頁。
上記のことは、ナタリー・サロートにも、サガンにも、マルグリット・デュラスにも言える。ド・ゴールが戦後最大の作家なのか。イギリス文学はそんなことはない。カズオ・イシグロの『日の名残り』を見よ。そうなのかしらん。
118頁。
シムカ・ゴルディーニで空を飛ぶ。
119頁。
アストン・マーチン・カブリオレ。1957年4月13日午後2時15分。国道488号線で事故。1.5トンの車の中に挟まれる50キロそこそこのサガン。この半年前にはポルシェ・スパイダーでジェームス・ディーンも事故を起こし死亡していた。
123頁。
過保護に育ったサガンは、治療のための薬の影響から抜け出せず、中毒になる。闘病日記『毒物』を書く。挿画はビュッフェ。
125頁。
フェラーリを買う。280キロ以上出る。
126頁。
自我を忘れるには、スピードが必要。運転していると苦しみが和らぐのだ。
141頁。
好きな時に好きなことをするのが好きなので、もちろん家庭生活には向かない。
154頁。
鬱病で入院。1961年、『素晴らしい雲』を書いた後。
155頁。
ボブ・ウエストホフと結婚。子供がほしかった。
165頁。
エヴァ・ガードナーと付き合う。
171頁。
1952年、フロランスから、フィッツジェラルドの『崩壊』をもらう。書けないということについて、書けるだけのことを書いた本。
179頁。
『消え去ったアルベルチーヌ』を読み返す。苦しみを他人と共有すると孤独から救われると感じながら。
***
夕方、図書館に行き、『現代装幀』(臼田捷治 美学出版)を借りてくる。懐かしい本の書影も載っている。
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