6時起きして『トーマス・マン日記』の続きを読む。
昨日書きもらしたが、1949年8月13日の項の注によると、今回の重要な旅行に関するマンの英語版「報告」が「ニューヨーク・タイムズ・マガジン」9月25日付けに掲載されたらしい。本文はこの巻の補遺にあるが、図版つきの紙面を見たいものだ。あとで、トライする。補遺を見ると、フランクフルトだけでなく、シュトゥットガルト、ニュルンベルク、カッセル、そしてミュンヒェンにも行ったらしい。ヴァイマルとチューリンゲンにも。
ヴァイマルのマン From Wikimedia Commons, the free media repository |
8月19日。
パシフィック・パリセーズに帰った。帰路、上記の「報告」を書きはじめる。夜、前から好きなメンデルスゾーンの『夏の夜の夢』を聴く。(# 多分トスカニーニのレコードを書斎の電蓄で聴いたのだろう。NAXOSでそれらしい曲を探して聴いてみた。)
8月25日。
「報告」を書きあげる。Kとエーリカに読みきかせ、意見を聞き、翌日は訂正。
8月27日。
『選ばれし人』執筆を再開。
8月29日。
耳の状態は良くないが、好きな音楽は聴く。「新しい長時間録音レコード」を試し聞き。フランクのヴァイオリン・ソナタ。耳ざわりなところがあると。LPレコードだろう。評価が良くないのは耳が弱っているせいではないのか。あるいは器械の調整不足。
9月8日。
ボンで西ドイツ国家樹立。
9月12日。
『選ばれし人』執筆は16章に入った。
9月13日。
入浴しながら考える、体調は悪いが75歳までは生きたい。その時スイスにいるのかはおぼつかない。(# 弱気になっている。朝の入浴は私も定年以降真似している。)
「ニューヨーク・タイムズ・マガジン」に写真を送る。
9月23日。
ロシアが原爆を保有していると騒動になった。
10月16日。
うっかり9時まで寝てしまい、11時から執筆開始。
10月17日。
7時半起床。マニキュア、コーヒー、入浴。
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