2020年10月22日木曜日

16年にわたる亡命生活を経て、ドイツへ一時帰国したトーマス・マンは74歳病弱

管理組合のお仕事、午前中は駐車場脇に泥跳ね防止で敷く砕石を100キロ購入。午後は北側部屋出窓の水漏れ状況の聞き取り調査。結構疲れた。

『トーマス・マン日記』のつづきを読む。朝と夕方。


1949年3月22日。
「フィラデルフィアで演奏会場がショスタコーヴィチを拒否。」

3月26日。
午前中は講演旅行用の講演原稿を書く。眼科医ヘ。スルファ剤の治療続ける。気分が悪く読書はできない。晩に『コジ・ファン・トゥッテ』を聴く。

4月7日。
不眠。咳。前日の耳の炎症。目の不調。# 近づくドイツヘの旅がうまくいくのかという不安のせいだろう。

4月25日。
K、エーリカと共に出発。

シカゴへの車中でコンラッド『黄金の矢』を読む。

4月28日。
シカゴで講演会。

4月29日。
大学病院で診察と検査。以前肺の手術を受けた病院だろう。

5月3日。
ワシントン着。講演会。

5月4日。
ニューヨーク。

初めての航空便でイギリスへ。イギリス内講演旅行、オクスフォード大での名誉博士号授与(5月13日)。…

(# すると私の生まれた日にはスコットランドに着陸したころか?)

5月19日。
ロンドン。フランクフルトからは正式な知らせがない。

ストックホルムへ飛ぶ。

5月22日。
息子のクラウス、カンヌで危篤の一報。そして死亡の知らせ。

K、エーリカと相談し、とりあえず講演旅行は最小限続けることにする。

5月29日。
コペンハーゲンへ。

講演。

6月2日。
チューリヒへ。家族再会。

6月3日。
講演会。

6月6日。
74歳の誕生日。喫茶店でお祝い。

6月11日。
マッカーシーよりの報道をするライフ誌と協力した友人を怒るエーリカ。

142頁。6月14日。
朗読会。執筆中の作品の一部をマンはよく読み聞かせて、聴衆の反応をみる。こんな執筆方法が作品の出来映えにどう関係するか考えてみたい。

6月15日。
キュスナハトへ行き旧居に住む昔の家主と昼食。懐かしい。帰りのタクシーの運転手も顔見知り。

6月18日。
フリードが母方の祖父によくなついていて、「本気で嫉妬」。

7月23日。
チューリヒを出発。「戦争にでも出かける気分。」で。日記には略されているが、24日。フランクフルトに入り、記者会見をした。「16年にわたる亡命生活を経て、・・・ドイツへの帰路をたどる。」と地元の報道。その後アムステルダムへ。

8月6日。
ロッテルダムで「ニュー・アムステルダム号」に乗船。

8月13日。
ニューヨーク着。

8月15日。
シカゴ。

8月19日。
パシフィック・パリセーズに帰る。

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