朝から好天。初孫に会う日にふさわしい。
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大岡昇平『成城だより』(文藝春秋)を読み始める。1909年生まれ、75歳の生活はどんな様子だったか。
1984年11月13日。
大江健三郎が武満徹の新作レコード持参、「イデーン2」、「ウォーター、ウェイ」「ウェィヴズ」。大江の新作は生地の孵大洲舞台の至福千年をモデルとしたもの。ボルヘスが来日中で会ったという。
立ちくらみでコンサートに行けぬので、音楽が来てくれるのを喜ぶ。
12月5日。
病院へ。心臓が大きくなっているので利尿剤をふやさねばならぬが、だるくなるので仕事にならない、困る。
雑誌新年号への対応は大変だった、この日記以外は今後断る。「富永太郎全集」(角川書店)の完成にも力をそそぐ。
出版社のくれる当用日記に日々の出来事をメモし、それをふくらませるので、手間はかからないはず。
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『アシモフ自伝』の続きも読む。
1949年12月31日。
恒例の年末決算。文筆活動の収入は1695ドル。化学者としての収入は4800ドル。総計6500ドル弱。喜んでいる。
1950年1月15日。
契約条件が決まったので、『暗黒星雲のかなたに』を改めて書きはじめる。梗概は作ったが、それにはよらないで書く。
1950年になると、キャンベル一強の時代が終った。アスタウンディング以外にもF&SFのような雑誌があらわれた。雑誌の価格は20セントから25、35セントと上がって行く。
『宇宙の小石』の評判は良い。
2月7日。
大学で「単純脂質」に関する初めての講義。「なんとかきりぬけた。」
2月14日。
ぶっつけ本番の講演も上手くできた。つまり「大受け、拍手、笑声」。
2月5日。
ガートルードと共にゲイ・ナイト・クラブに行くが気にいらない。
5月14日。
『暗黒星雲のかなたに』は三度目の書き直しで認められ、前渡金は750ドル。
6月19日。
1650ドルで新車のプリマスを買った。
6月25日。
北朝鮮軍が南朝鮮に侵入し、アメリカが朝鮮に派兵して、朝鮮戦争が始まった。弟、スタンリーは21歳だが視力が悪く徴兵は免れそうだ。
7月7日。
運転免許試験に合格。買った新車はまだ来ない。
8月8日。
車の所有者となる。30歳にして。翌日、車で出勤。
8月31日。
2台目のスミス・コロナ・ポータブルを入手。
9月12日。
共著で、化学の教科書を書くことにした。
11月21日。
腎臓結石の発作。救急車に乗る。モルヒネでおさまったが、常習者になるのが怖い。
年末。
年毎に単行本のリストを作ることにした。
1 『宇宙の小石』(ダブルデイ)
2 『われはロボット』(ノウム)
文筆収入4700ドル。大学の棒給約5000ドルとほぼ同額だ。
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午後はやっと会えたHALくんと過ごす。
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