2020年11月23日月曜日

世界は孫を中心に回っている

『トーマス・マン日記』を読み進める。

そろそろ米国を離れて、慣れ親しんだヨーロッパに戻りたいという思いが強くなってきた。本当はミュンヒェンに戻りたいのだろうが、状況が許しそうもなく、スイスに骨を埋める覚悟が固まりつつある。

1951年11月30日。
濃霧。このアメリカの雰囲気に苦しめられる問題について、他方もはや逃れる余地のない世界の矮小さと等質性によって与えられる苦痛についてKと意見交換。いずれにせよヨーロッパの大気のほうが、そこに憩うに適しているし、大地は肌に合っている。

『クルル』、第5章を書き進める。

12月3日。
出来る限り機嫌良く、生物学的対話を書き進める。

12月6日。
「スイス・シャレ」で食事。料理の出し方が早過ぎ、せわしない。

12月12日。
さらに試みを続けなければならない。身体は私のみるところ衰えかけているが、精神力は七十六歳にしては若い。しかも私はスイスへ行くことを考えている、そこで生活するためではなく、そこで死ぬためだ。

Kとエーリカに朗読。二人の反応によって一応慰められる。…この小説の基本理念は感覚的な超感覚性の中の愛以下のものではない。それと対照をなす非道徳性。

12月14日。
ブルクハルトについて、その創造力は体力より先に消えていったと読んだことで、深く衝撃を受ける。

12月16日。
別の家屋周旋人が来て、この家の建築上の難点を指摘し、70,000ドルにしか評価しなかった。

12月20日。
リンカーン・バーネットの『宇宙とアインシュタイン博士』を読む。『クルル』の最後に書き上げた章を技術的にも思想的にも書き直そうと絶えず心中で試みる。

12月24日。
朝食の際に激しく噎せる。

***

孫が将来遊びに来るのを見越して、部屋の片付けをぼちぼちとしている。一日に出来ることは限られているが、少しずつやっている。本だけでなく、CDもかなりある。CDケースは捨ててしまうという案を考え付き、少しやってみた。両面収納袋に、CDとジャケットの紙の部分を入れておく。CDケースをバラさないと裏面のジャケット紙は出せない。CD一枚を処理するのに数分かかる。数百枚のCDを処理するにはかなり時間がかかるだろう。しかも、こんなCDがあったのか!と聴いてしまうので、なかなか終わらないだろう。孫がいたずらを始める前に部屋を広くしておきたいものだ。


昨日の孫との半日で、かなり疲れた。可愛がりすぎた。一方、体力が落ちたのを感じる。午後はたっぷり昼寝して回復をはかる。




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