2021年1月14日木曜日

トーマス・マン理解の鍵としてゲーテを読もう

朝6時起床、『トーマス・マン日記』を読む。

1918年11月8日。
深夜まで銃声が続き、朝にもまた始まった。けれども私はそれをまったく無害なものと受け取っていた。……昨夜の「大事件」をまずKの母親の電話で、それから遅れて配達された「ナーハリヒテン」で知った。……「バイエルン民主社会共和国」が宣言され……

この後、ミュンヒェンでの「革命」の様子や、国際情勢の(伝聞による)記述が一ケ月続く。しかし、トーマス・マンの執筆活動は長く中断することなく続く。外出は差し控えているようだ。政治的には悩んでいないし、一切外部への発言はしていない。子供やKの病気に悩んでいる。「民主社会共和国」政府を否定してはいない。距離を取っているようだ。食料事情の記述はないが、要するに困っていなかったのだろう。

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『ゲゲゲのゲーテ』を読み終えた。そして、トーマス・マンとゲーテの関連性を述べた論文を幾つか読んだ。マンの作品にはゲーテの作品のパロディーが多く混じっているそうだ。たとえば、「トーマス・マンにおけるパロディーの意味」(禿憲仁)。

水木しげる大先生がおっしゃる通り、ゲーテの人間性に触れる必要がある。とりあえず、『ゲーテ全集 10巻』(「詩と真実」 潮出版社)を借りることにした。国会図書館デジタルでは大村書店版全集第11巻(大正14年)で読める。

今、これを書きながら調べたら、「詩と真実」を読むなら、全集の9巻と10巻を借りるべきと気づいた。9巻も追加で予約。あぶなかった。ブログを書いていてよかった。





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