2021年1月16日土曜日

トーマス・マンは子供を可愛がったし長い詩も書いた

朝6時。『トーマス・マン日記』を読みすすめる。

1919年1月から3月まで読む。詩『おさな児の歌』を書き続ける。不安定な政治情勢とは裏腹に、「牧歌的な」日常。歯痛だけが悩み。Kは4月の出産を控えているが、詩の朗読を聞いて意見を述べてくれる。トルストイの日記を読み続ける。バイエルンの国民議会の選挙でバイエルン・ドイツ人民党へ投票。ただし勝ったのは社会民主党。

ボルシェビィズムは人道的ではない。

1月17日の記述によると、ベルリンではリープクネヒトとローザ・ルクセンブルクが殺害されたとしてある。

この日記の雰囲気と、『ファウストゥス博士』の記述はかけ離れているような気がする。少し調べよう。そのためには1945年、1946年の『日記』と『ファウストゥス博士の成立』を参照しないと……。

少し考えたが、この1918年からの日記を焼却しなかった理由の一つは、末の子供二人が生まれて嬉しかったその記録を残したい、焼くのが惜しかったのではないかと思った。素人の感想に過ぎないが。



その前に『知識人と政治 ードイツ・1914〜1933』(脇圭平 岩波新書)をおさらいした。トーマス・マンは1918年以前つまり『非政治的人間の考察』の時代に国粋主義者ではなかったらしい。そもそも国という概念があいまいな場所にいた?日記のなかでも、163頁。社会主義を是とする記述がある。

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夜、月刊ARで『ディスタンクシオン』に関する対談。難しいなあ。

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孫の写真を送ってもらって、憂さを晴らす。これならもうじき這いはじめそうだ。



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